創作道(第一部)

前のページに戻る



去年の文章 1月6日(月) 1月8日(水) 1月10日(金) 1月14日(火)
1月17日(金) 1月21日(火) 1月24日(金) 1月28日(火) 1月31日(金)
2月4日(火) 2月18日(火)

2003年1月6日(月)

 

年末に予告したように、今年前半のCrownArchiveでは創作研究に関するコンテンツを連載します。その分、ゲーム考察系コンテンツの更新はスローテンポになりますが、熱意を失った訳ではありません。むしろ、より深い考察力を養うための回り道だと御理解いただければ幸いです。

2003年1月6日〜同年6月30日創作関係のコンテンツを中心に連載(ゲーム関係のコンテンツは構想やメモを中心に) 
2003年7月1日〜従来の流れに戻る予定 

少年週間ジャンプを材料に俺イズムを分析してみる

とりあえず少年週間ジャンプに連載されている漫画から俺が好きな漫画の傾向を探ってみようと思う。

大好きアイシールド21、ジャガーさん、ハンター×ハンター、ヒカルの碁、ボボボーボ・ボーボボ 
文句なしいちご100%、こち亀、テニスの王子様、ナルト、BLACK CAT、プリティフェイス、ミスターフルスイング、遊戯王、ルーキーズ 
物足りないUltraRed、グラナダ、シャーマンキング、ストーンオーシャン、タトゥーハーツ、BLEACH、ONE PEACE 
アイシールド21ひたむきで腰の低い主人公に好感。同様の理由でホイッスルも好きだったなぁ。 
ジャガーさん紙一重の妙味を狙って果敢に寒いネタを捻じ込む姿勢が素晴らしい。 
ハンター×ハンター主演4人以外は誰が死んでもおかしくないという緊張感が◎。この漫画でサブキャラに惚れ込むのはデンジャラス。今のところ、ベーゼ、スクワラと惚れ込み、0勝2敗。 
ヒカルの碁個人的には左為がいた頃より今のほうが楽しい。ヒカルの碁プロ編は洋行さんの物語だと勝手に解釈している。ヒカルの中の左為を追っていたアキラに対し、洋行さんはインターネットで対局した左為と名乗る謎の棋士を追う。肝心の左為は成仏してしまったのに、洋行さんはそれを知らない。現在ヒカルやアキラは洋行さんの域に達するために経験値稼ぎ中っと。 
ボーボボ一言で言えば、毎日がお祭り。DQ7の主人公にボーボボと名付けたぐらい好きだな。 
いちご100%とことん優柔不断なメイン2人の沈黙を回りが壊すという構図がなんとなく楽しい。お色気描写は俺的には不要。 
こち亀100巻前後から作風が大きく変わった。昔のこち亀を知ってる身として当初は戸惑ったが、いつの間にか慣れた。むしろ、昔の作風とのギャップがたまらん。 
テニスの王子様なんとなく全体的に地味だが漫画全体としてのバランスが取れているので文句なし。慣れるとこの地味っぷりもいい案配。 
ナルト安定している。安心して読める漫画だね。 
BLACK CAT俺はジャンプ歴けっこう長いので、正統派の能力バトルには魅力を感じないが、登場人物の嫉妬劇は面白いね。クリードとか。イヴとか。 
プリティフェイスお約束をとことん駆使しているのでツッコミどころがない。なんだかんだで現在ジャンプで連載している漫画の中で一番手堅いかも。 
ミスターフルスイング以前は「大好き」ランクだったが、戦士の銃を片手に騒ぐガンマンが出てきた頃から、ノリについていけなくなった。まあ、じきに頭が慣れるだろう。こち亀や駕籠慎太郎の漫画で似たような経緯を経験済みなので。 
遊戯王カードバトルがメインになって以降、長いあいだ「物足りない」ランクだったけど、最近、ツッコミどころだらけの試合展開が楽しくなってきた。MMRと同じノリで読めば楽しめる。 
ルーキーズベタベタな展開がいいなぁ。 

次回の更新では、「物足りない」ランクのジャンプ漫画をあれこれ考察してみたい。水曜日を予定。

2003年1月8日(水) 

 

少年週間ジャンプを材料に俺イズムを分析してみる〜その2 

前回の続き。
俺が個人的に物足りないと感じるジャンプ漫画の物足りない部分と、こうなったら俺的に良いという部分をまとめてみる。

作品名 俺的に物足りない点 こうなれば俺的にGooD 
UltraRed 格闘漫画のテンプレートを見ているような感じ。前作ライジングインパクトが好きだった身としては物足りない。 主人公に『強さ』のほかにもう一点、魅力があれば化けるかも。参考までにライジングインパクトの主人公ガウェインは屈託のない笑顔が良かった。 
グラナダ トンデモなくスゴイ超科学という触れ込みだが、ちっともスゴさを感じない。空中浮遊も物体通過もジャンプではデフォルトだし。主人公が肝心の超科学をなんなく使いこなしてしまっているのもその傾向に拍車を掛けているかと。 主人公の性格を変えるのが一番だが、それは無理なので、超科学の方向性を変えるといいかも。現代の科学の延長線上にある超科学ではなく、どういう発想があればそんな文明が成り立つのかと問い詰めたくなるような科学のほうが面白くなるはず 
シャーマンキング みんな格好つけすぎ。敵も味方も。雑魚キャラに至るまで。そのせいで逆に言葉の重みが無くなっているような。 そもそも幽霊と会話できる世界で命懸けのバトル、という時点で間違っているような気がする。死ぬことに大きなリスクがあれば名作に化けるかも。 
ストーンオーシャン スタンドの能力が特殊すぎ。その敵スタンドに馴染む前に決着が着いてしまっていることも多い。せっかくのアイディアが勿体ない。 ここまで変則的な能力を持つ連中が多いとスタンド“バトル”にしないほうが面白いかもね。第4部みたいなノリのほうがキャラが活きると思う。例えばゲンゾー爺さんなんかは使い捨てにするには惜しいキャラ。 
タトゥーハーツ まだ序章って感じ。早く本編が始まってほしい。 早く主人公に明確な目的を与えたほうがいいかも。 
BLEACH 個人的にはバトル場面よりも雑談場面のほうが面白いかも。 個人的にはバトル要らない。トークシーンのほうが好きだな。 
ONE PEACE 涙が安っぽい。バトルに魅力がない。世界観そのものは好きだな。 バトル(勝ち負け)よりアドベンチャー(奇想天外)の比率を高めたほうが俺的には楽しいと思う。でも、立場的に難しいんだろうなぁ。 

とりあえず上記の成果を簡単にまとめてみる。

次は四大少年誌をザッと読んでみたい。各漫画の詳細感想ではなく雑誌自体の雰囲気をまとめてみたい。あと、なんとなくAONから教訓を得てみる。更新は金曜日を予定。

2003年1月10日(金) 

 

四大少年漫画誌ほかを大まかに読んでみた

個々の漫画を一話ずつしか読んでいないので、詳細感想ではなく、全体的な印象をまとめておく。

サンデーお上品。手堅くオチをまとめる印象。 
マガジンなんとなくスタンダードっぽい。 
チャンピオン良い意味でB級映画っぽい雰囲気だな。 

読み比べて思ったが、少年週間ジャンプは、勢いで勝負する漫画なんだなぁ。サンデーが勝手に改造、マガジンがクロマティ学園だとすれば、ジャンプはボーボボな訳だ。なんとなく納得。
 
ついでに他の少年漫画雑誌も軽く読んでみたが、四大漫画誌では少数派だったジャンルの隆盛ぶりが印象的だった。女の子の可愛さがウリの漫画とかファンタジー系とか。雑誌によってずいぶんカラーが違うものだね。

今更だがAONを語ってみる

AONは、2002年秋〜冬に週間少年ジャンプで連載されていた漫画。いわゆる10週打ち切りで果てました。
よく分からないのだが、なんとなくAONには原石のような魅力を感じる。今更だが、どうすれば俺的にAONが面白くなるか考えてみた。

前提AONはプロレス漫画。「プロレス=やらせ」の構図を前提に、それを打破しようとする主人公のドラマを描こうとした。 

少年漫画の俺的バトル論

少年漫画と言えばバトルだが、同じバトルを扱っても、面白い作品、物足りない作品に別れるのは何故だろう? 俺的に思うところを綴ってみた。
かなり偏った視点なのは自覚済み。世の中にはこういう見方もある、程度に解釈しちゃってください。

そしてバブル期ジャンプ系バトル漫画の金字塔、ドラゴンボールについて語ってみたいと思うが詳細は次回。来週以降はいつもの更新ペース(週2回)に戻り、火曜日を予定。

人の心における印象の変遷について

人の印象というのは月日の経過にあわせて変わるもの。管理人も、そういうことは山ほど経験しています。DQFFに限っても↓。

 以前 現在 
DQ5 購入当時はつまらないゲームだと思った。ストーリー展開が強引すぎ。しかも爽快感がない。 いい話だ。このゲームが追求したのは爽快感ではないのだな。 
DQ6 購入当時はつまらないゲームだと思った。DQ5同様、爽快感がない。特技取得にたくさんの戦闘をこなさないといけない。あとネーミングセンスが終わってる。ふざけるな宇宙ヒーロー。 DQ5同様、爽快感を重視した作品ではないので爽快感云々の評価は筋違い。実はレベルさえ上げれば特技はそれほどなくてもクリアできる。特技にこだわらず、今までとおりメタル狩りをすれば良かったんだなぁ。宇宙ヒーローなどのネーミングも鳥山イズムの導入だと考えれば納得。 
マーニャとアリーナ 昔はアリーナ派。マーニャは色気過剰すぎると思ったよ…小学生なりに。 今はマーニャ派。ただアリーナが嫌いになった訳ではないので、単に自分の年齢に近いほうが馴染み易いということなのかも 
ポリゴン 否定派。ある程度、技術が進むまでは無闇にポリゴンを使うべきではないと思った。 FF7のバトルを見て考えが変わった。カメラワークは面白い。 
フルボイス 台詞を聞く速度より読む速度のほうが早いので、今までは積極的に省略していた。 FF10を遊んでみて、演出手法の一環としてボイスを搭載するのは「あり」だと思った。文字では表現しにくいニュアンスを伝えるという意味でも、ああいう形のボイス導入は賛成。 
経験値稼ぎ 否定派。DQシリーズはメタル系という形で経験値稼ぎを短縮できるのが魅力だった。 経験値稼ぎを楽しめないFF8のお陰で、経験値稼ぎの楽しさに目覚めた(笑)。 

DQ5、DQ6と遊びかたそのものを間違えてしまった。FF8のお陰で近代DQの面白さに気づき、お陰でDQ7はすごく楽しめた。現在はDQ5、DQ6のリメイク版を心待ちにする日々。きっと今ならDQ5、DQ6を楽しめると思う。
実は、このサイトで今のところ最も大々的に取り上げているFF8ですら、俺は当初、

最初の印象期待していたラグナの扱いが小さすぎるよ…うわ〜ん。モンスターが少なすぎる。建造物も少なすぎる。Disc2中盤で世界中を旅できるようになって、スカスカなFF8の世界に絶句。Disc4で今までの町戻れないという仕様に涙。グラフィックはよい。主題歌もいい。でも、それ以外の部分が…。もうやめようとまで思った。 
クリア時の印象なんとか頑張ってエンディングを見た。今までの苦労は報われたと思った。FF8は素材は良いのに、どこかで間違ってしまった勿体ないゲームだと思った。 

そして時は流れ。

サイト運営中CrownArchive開設。当時かなりの分量があったDQ4ガイドとのバランスを取るために、FF系コンテンツが欲しいと思った。そこで白羽の矢が立ったのがFF8。FF8はダメゲーだけど、コツさえ掴めば、それなりに快適になる。せっかく購入したゲームなのに途中で挫折するのは勿体ない、そういう人を少しでも減らすために、という気持ちからコンテンツ制作開始。 

ところが。

FF8コンテンツ制作中コンテンツ作成のために深く遊べば遊ぶほど、何度も目から鱗が落ちる思いを体験。嗚呼なるほど、この要素にはこういう意味があったのか。これはあれと組み合わせて考えてみると意味があるのか。今まで「間違っている」と思った部分の殆どに、それなりの設計思想が読み取れるという意味で、FF8の完成度は高い。ただ、DQ1〜4に対するDQ5〜7のように、他のFFシリーズと比べて方向性が違うから、従来のFFの基準で遊ぼうとすると楽しめない訳だ。 

このFF8に対する印象の変化は、FF8コンテンツ制作中に起こったもの。だから、FF8コンテンツ制作初期と現在では、CrownArchive内での主張にもかなりの差が見られる。

 FF8コンテンツ制作初期 現在 
ドロー ドローの仕様はなんらかの形で変更すべき。今のままでは退屈。テンポ悪すぎ。 FF8の魔法入手システムの本質は精製。ドローを便利にしたら精製の意味が無くなる。リメイク版を出す際は、ドローを便利にするよりも、精製の有意義さを前面に押し出す方向でいってほしい。 
ラグナの足 ジュリアの前では足がつったのに、レインの前では足がつらないのは勿体ない。ラグナの足つりはネタとしても美味しいのに。レインの前での足つりイベントを追加したほうが面白くなるのでは? ラグナがジュリアの前で足が吊ってしまった理由は「緊張した」から。ラグナにとってレインは憧れの対象ではなく、一緒にいたら心が落ち着く相手だから、レイン面前での足つりイベントはやっぱり無いほうがいい。 
スコールの心の変化 Disc3でいきなり性格が変わるのは反則。 よく見るとDisc2を通して少しずつ変わっている。しかもスコールがリノアを守ろうと思ったのもDisc3ではなくDisc2終盤。決してスコールの変化は唐突な訳ではない、むしろ意図的にプレイヤーに唐突だと思わせるよう仕向けたような節もある(詳細は今後の更新にて) 
SeeDの位置付け なぜ学生部隊がそこまで強いのか等いろいろとツッコミどころはあるけどゲームだから仕方ねえか。 SeeDが強いのは他の軍隊では使用を禁じられているG.F.を存分に活用しているから(GFが無ければ魔法装着によるパラメタ強化も不可能)。しかもノーグとその傘下の教師たちはG.F.の副作用は根も葉もない噂に過ぎないと誤魔化している。ノーグにとってガーデン経営はあくまでビジネスであり、ノーグは子供たちを食い物にしている訳だ。 
語られない重要事項 FF8では美味しい題材なのに語られない事項が多すぎる。例えばラグナとスコールの親子の会話とか。スコールがガンブレードを愛用する理由とか。ハイン神話とか。時間圧縮の詳細原理とか。他にももろもろ。 前半のスコールは任務馬鹿だし、後半のスコールはリノア馬鹿。他の話題に興味ない。FF8のシナリオがあくまでスコール視点に徹しているから、結果としてああいう形のシナリオになったのだろうな。作品の技術的側面にこだわりすぎた結果としてサービス精神が失われたようなものか。 

こんな感じで、ずいぶん認識が変わっている。詳細はいずれCrownArchive内で取り上げる予定。
 
で、思ったのだが、

  1. この認識の変化、趣向の変化っていうのは面白いテーマに為りうるかも。
  2. 最初はどういう気持ちだったのか。現在はどういう気持ちなのか。どういう理由で変化が起こったのか。変化の原因はなんなのか。どこを取り上げても興味深い話題になりそうだ。
  3. そういった話題を、俺のテリトリーであるゲームや漫画に絡めて扱っているサイトを俺は見たい。読みたい。

で、CrownArchiveのコンセプトが「見たい読みたいと思ったコンテンツを自炊する」なので、現在その辺の試行錯誤も一緒に進めている訳です。

2003年1月14日(火) 

 

ドラゴンボールのバトル漫画的な魅力など

ここでは便宜上、ドラゴンボールを初期(孫悟飯誕生以前)、中期(サイヤ人編&フリーザ編)、後期(セル編&ブウ編)に分けてみた。

初期初期のドラゴンボールにおけるバトルはネタ発表の舞台。勝つか負けるかそのものよりも、面白いネタ(地面に落ちたように見えるけど実は爪先をコンクリにめり込ませてリングアウトは回避しました、とか)を読者に見せるための枠組みとしてバトルという形式を利用しているだけ。悟空が勝つか負けるかよりも、次に悟空はどんな動きをするかが気になった。 
中期個人的に最もドラゴンボールに燃えた時期。今こうして振り返ってみると中期ドラゴンボールには4つの盛り上げ要素が思い浮かぶ。(1)敵の圧倒的な強さ。指を少し動かしただけで周辺都市を一掃できるサイヤ人、たった一発の光線で惑星そのものを破壊できるフリーザ。子供心にスゲエと思った。(2)そんな強敵どもが相手でも悟空が来ればなんとかなるだろう、という安心感。読者の意識を“悟空がいつ来るのか”に焦点を合わせたのはうまい。(3)特殊能力バトルからの逸脱。戦闘力という概念で各人物の強さを明確化することで、特殊能力バトルから純粋なパワーバトルに移行したことは白眉。中期のドラゴンボールは特殊能力バトルのウエイトを下げたことにより凄まじいテンポの良さと分かり易さを手に入れた。(4)孫悟飯という後継者候補の登場で「悟空は主人公だからリタイアすることはないだろう」という安心感が消失。「悟空を殺して悟飯メインの物語に移行するか」それとも「そのまま悟空主人公で話を続けるか」という緊張感が生まれた。2番で説明した“安心感”があるからこそ、むしろ悟空リタイアの可能性が怖かった。 
後期バトル漫画として見た場合、個人的には蛇足な印象が強い。個人的に中期と比較して物足りないと思う点は3つ。(1)クリリンの再復活、悟空の帰還によって物語全体の緊張感が消滅。(2)バトルが物足りない。初期のDBは勝敗よりも動きの面白さを優先して人気を得た。中期のDBは動きの面白さよりもテンポの良さが生み出す爽快感を優先して人気を得た。後期ドラゴンボールには、前期のような動きの面白さも、中期のようなテンポの良さが生み出す爽快感もない。(3)悪い意味で何でもありの状態になってしまった。スーパーサイヤ人の大量登場、スーパーサイヤ人より遥かに強い人造人間たち、スーパーサイヤ人3の存在、フェージョン、今さら登場した魔界の王ダーブラ、界王に対する界王神の存在など。
※ただし後期ドラゴンボールに関する評価は、中期との比較で必要以上に厳しくなってしまっていることを明記しておく。たぶん中期ドラゴンボールが存在しなければ後期ドラゴンボールの評価はもっと好意的なものになっているはず。  

ドラゴンボールから得られる成果(バトル漫画的な側面に限らず)。

次の更新では、個人的に面白いと思う漫画をピックアップしてみて、そこから漫画の面白さとはなにかを考えてみる。金曜日更新の予定。

2003年1月17日(金) 

 

個人的に面白いと思った漫画。思いついた順。「お勧め」とは限らないので注意。俺は面白いと思うけど、他人には薦められないなぁという漫画多し。

題名 感想 
グラップラー刃牙 最初は絵柄に馴染めなくて敬遠していたけど、慣れると病みつきになった。JoJoと同じ経緯。あの筋肉描写がたまんねえ。個人的にはなんとなく花山が好きだ。話としては、やっぱり勇次郎の存在が大きいな。 
水木しげるの漫画 水木しげるといえば妖怪漫画の第一人者だが、むしろ独特の台詞回しとアクション描写が楽しい。普通の漫画なら盛り上がるような場面でも淡々と進むところがイケる。 
世紀末リーダー伝たけし ベタな展開が大好きだ。個人的にはちゃんとした完結編を読みたい。 
ライジングインパクト スポーツバトルとしてよりも人間関係のほうが面白かった。どことなくネチネチしたところが好き。 
覚悟のススメ 台詞回しが最高。リイド社から発売されている前身漫画(題名失念)と見比べてみると演出技術の凄さがよく分かる。 
悟空道 『覚悟のススメ』と同作者。芸風がますます先鋭化。もはやポエムの域。少年漫画を地でいく展開が心地よい。この作者さんは俺的に神認定。読者層的に、少年週間ジャンプで連載したらウルトラヒットしたかも、なんて思ってしまうのは俺の中のファン心理に依るものか? 
うしろの百太郎ほか つのだじろうの霊界漫画はどれも色々な意味ですげえ。新うしろの百太郎は霊界漫画の一線を超えたという意味でやっぱりすげえ。 
藤子F不二雄のSF短編集 ブラックテイストと言えば笑うセールスマンなどで藤子不二雄A氏が有名だけど、実はF氏の描くブラックユーモアのほうが怖い罠。あの丸っこい絵柄でブラックテイストやるんだもんなぁ。素敵すぎる。 
イヤハヤ南友 司会者2人が悪乗りし過ぎなところがおもろい。 
半熟忍法帳 新山たかしは俺的に神。 
横山光輝の三国志(後半) 話が淡々と進むところがたまらねえ。 
火の鳥〜望郷編(後半) 火の鳥はどれも好きだが、その中でも望郷編の後半が特に素晴らしい。うまく言葉に出来ないけど素敵だ。ロマンがある。2番目に好きなのは太陽編かな。 
イッパツ危機娘 二巻以降は下ネタの割合が大きく増えるので、個人的にはいまいち。一巻が一番いいかも。いや、むしろ魅力はオマケ漫画か。 
メタルK 掲載誌が少年週間ジャンプじゃなければもっと人気が出た予感。惜しい。 
パズルゲーム☆ハイスクール 単なる推理モノ漫画じゃないところがミソです。 
神聖モテモテ王国 なんとなく高校生バージョンのドラえもんって感じ。誰もが冗談で思い浮かべるものを目に見える形に仕上げたところが、この漫画の魅力かな? 
魁!クロマティ高校 線が太いのでコミック向きかも。不良高校なのに暴力シーンないのは妥当だろうな。なんとなくファンタジックだ。 
Let's豪徳寺 言葉ではうまく表現できないのだけれども。なんとなく好きなんだ。 
オヤマ!菊之助 露骨すぎ。どうしようもなくど真ん中ストレートなところが逆に面白かった。管理人はジャンプ中心なので、こういう露骨なエロ話に対する免疫は殆どありません。やり過ぎって気もするが。個人的にはエイケンだめなんだけど、この漫画とエイケンの差ってどころにあるんだろう? 今度考えてみたい。 
あずまんが大王 色気皆無な絵柄に好感がもてる。個人的には大阪がいいね。 
HEAT 面白い。面白いのだけども、こういう抗争モノ漫画が全て同じに見えるのは修行不足か? それでも好きなんだけどね。 
パラレルトリッパー サガノヘルマーもボーボボ風に言えばハジケリスト。BLACK BLAINはハジケ度が足りない印象。 
あすかあきおの漫画 一言で言えば児童漫画版MMR。この漫画はMMRと同じ方向性の題材を扱っているけど、面白さの方向性は完全に別物だね。 
幽遊白書(幽助の血統公開後) 格闘大会やってた頃はドラゴンボールのイメージが強くてあまり興味なかった。仙水が七重人格だったという話の頃から雰囲気が変わってきて(レベルE以降的なノリになって)、ああ俺の求めている漫画はこれだ、と。富樫先生のそれまでの路線から現在の路線への過渡期の作品として興味深い。 
レベルE 個人的に面白かったのは、婿探し星人の話の前半までだが、それだけでも十分に俺の心の中では殿堂入り。宇宙と変身ヒーローとRPGツクールを繋げようという発想も凄まじい。 
魔法陣ぐるぐる 初期の路線と現在の路線のギャップもまた一興。個人的には両方とも好きだな。笑顔の似合うキャラというのはやっぱり素晴らしい。第一巻の、硬貨を装備するというネタが個人的にツボだった。 
防衛漫玉日記ほか どこまでネタだか分からないところが面白い。濃密だし。 
ルパン3世 人を食った話がたまらん。個人的にはルパン3世にヒーローではなくトリックスターとしての活躍を求めている。だから、ここ何年か放映している二時間モノのやつはあまり興味ないなぁ。 
少年エスパーねじめ 純情パインも。 
アンゴラタイム やんちゃな雰囲気が好き。 
今までに取り上げた漫画の中ではハンター×ハンター、ドラゴンボール(中期)、JoJo(2部と4部)、ボボボーボ・ボーボボ、アイシールド21、ヒカルの碁。
最近、遊戯王が面白いと感じはじめている……やばいかも。  

上表を作ってみて、とりあえず、ジャンルや題材だけでは面白いかどうかは判断できない、ということは分かった。
 
こうやって一通り挙げてみて思ったが、

……これじゃあ足りないな。個々の漫画から見所を抽出するだけでは、上記のような非体系的な成果しか得られない。より根本的な部分を見つめるにはどうすればいいのか。少し掘り下げかたを変えてみるか。

2003年1月21日(火) 

 

面白さを理解するまでに時間が掛かる漫画

俺の経験の範囲で、面白さを理解するまでにある程度の時間が必要だった漫画は、

JoJo最初は絵柄が理由で敬遠していた。一番最初にジャンプで読んだのが現代語をサンタナが覚える話だったので、余計にそう思ったのかも。 
グラップラー刃牙最初はJoJo同様、主に絵柄的な理由から敬遠していた。 
遊戯王今までは対決漫画として捉えようとしていたから、強引すぎる試合展開に納得できなかった。最近ふと、遊戯王のデュエル編は対決漫画のフリをしているけど本当は対決漫画じゃないのかもと思い改めて読み直してみて、やっと面白さが分かった。この漫画の面白さは“理不尽な運命に翻弄される登場人物たちを神の視点から覗く”ことなんだな。読者は海馬が遊戯に勝てる訳ないと知っている。ところが物語の当事者たちはそれを知らない。海馬は自らの高笑いの虚しさに気づいていない。遊戯贔屓が露骨過ぎるからこそ、むしろ海馬の高笑いが素敵なんだ。 
駕籠慎太郎の漫画最初は読みかたが分からなかった。どこまで本気なのか掴めなかったのが大きい。どこかの雑誌のインタビューでギャグのつもりで描いているという発言を読んで、ああ奇抜な発想に純粋に驚けばいいんだな、とようやく分かった。 
その他ミスターフルスイングやこち亀を理解するのに時間が掛かったという話は以前にも書いたので詳細は省略。例えば、最近のこち亀の面白さは今まで積み上げてきたものをどこまで本気でぶち壊せるかというところにあるね。だいぶ前のことだけど、中川と礼子が漫才する話は「やめてくれーっ」って本気で思ったもん。この調子で二十年近く積み上げてきたものをどこまで壊せるかすごく楽しみだ。 

といったところ。
なぜ上記の作品の面白さを理解するのに時間が掛かったかと言えば、既存のイメージにこだわり過ぎてしまったのが大きいのだろう。対決漫画はこういうものだという基準で遊戯王を見たらその面白さには気づかないし、こち亀はこうあるべきだという従来の基準で現在のこち亀を見ても、その面白さには気づきにくい。
 
その意味で、

というのは、かなり魅力的な批評のテーマになるのではないかと思う。

2003年1月24日(金) 

 

前々回で面白さに題材やジャンルは関係ないかも、と書いたが、それは逆に言えば、
要は、自分の選んだジャンルや題材を他人が興味を抱くレベルに盛り上げられるかどうか。
ということだと思う。
ジャンルや題材が大した問題にならないのであれば、やっぱり作った自分自身が好きだと思えるような作品を作り上げたい。




だが、漠然と「自分自身が好きだと思えるような作品」といっても、それだけでは曖昧すぎて何とも作りようがない。
俺はどんな漫画が好きなんだ?
作品を実際に見て、これは好きだ、これは物足りないな、と思うことは出来る。だが、自分がなにを基準で好き嫌いを餞別しているのかまでは深く考えたことは無かった。
俺が好きな漫画は先週挙げたとおりだが、それぞれの方向性が違い過ぎて、そのままでは参考にならない。
俺はその漫画のどこが好きなのか?
俺がその漫画を好きだと思う理由は何なのか?
逆に俺がその漫画で物足りないと思う部分はどこか?
どうして物足りないと思うのか?
そういった部分を1つ1つ問い詰めなければ答えは出ないと思った。だから実際にやってみる。対象はこれまでの創作道で名前が出た漫画たちだ。
なんとなく俺流を掴むまでやってみよう。
そもそも、自分にとって面白いものがなんなのかハッキリさせなければ、模倣以上のものは作れまい。

アイシールド21
  • まず瀬名が好きだ。栗田も好きだ。ヒル魔も好きだ。護さんも好きだ。進も好きだ。大田原も好きだ。名前忘れたけどジャリプロの彼も良い感じだ。俺は、登場人物のひたむきさが好きなんだな(ヒル魔も含めて)。もしもアメフトではなく別のスポーツや格闘技が題材だったとしても、この面子が主演の物語なら、やっぱり好感を抱いたと思う。
  • 口も性格も悪いヒル魔。それでも彼に好感を持てるのは、彼の言動の全てが自チームの勝利という素敵な目的に結びついているからだろう。ダーティヒーローたる者、かくあるべし。
  •  
ホイッスル
  • 風祭が良い。もしも風祭がいなかったら、俺はホイッスルを夢中で読んだだろうか? 己のロマンに向かって一直線に走り続ける姿は見ていて凄く気持ちが良い。
  • 以前にアイシールド21の瀬名と風祭はどちらもひたむきさに好感が持てると書いたけど、瀬名と風祭はその役割が正反対だ。アイシールド21は仲間たちの情熱に主人公が感化される物語であり、ホイッスルは主人公の情熱に仲間たちが感化される物語。同じひたむきさが魅力の主人公でも位置付けは大きく違うんだね。ただ、どちらにしても、題材となるスポーツに夢やロマンを乗せたことが作品の魅力に繋がっている。
  • スポーツ漫画の基本は、そのスポーツを読者に面白そうだと思わせることだな。そのスポーツに夢中な登場人物を描くというのは古典的ではあるが一番効果的な方法だと思う。なにより、読者である自分の喜びと主人公の喜びがシンクロしたときというのは、すごく楽しいものだ。
  •  
ジャガーさん
  • 振り返ってみると、初期のジャガーさんは俺的に面白くなかった。変な主人公に、まともな脇役がつっこむという展開そのものに飽きを感じていたからだろう。個人的に最近の連載で感じる魅力は、いかにも馬鹿馬鹿しいことを心から楽しそうに行っている、ジャガーさん以外のキャラの姿だ。駄目っぷりが分かり易いハマーやポギーはもちろん、どんどん変な方向に感化されていくピヨ彦の姿も堪らない。初期の段階ではボケ役だったジャガーが導き役になってしまい、ありがちなボケツッコミ関係を打破したのは偶然なのか狙ったのか。どちらにしても面白い流れだと思う。ハーメルンの笛吹きよろしく、ジャガーさんはピヨ彦たちをどこに連れて行くつもりなのだろう? ピヨ彦たちはジャガーに導かれて、どこまで行ってしまうのだろう? すっげえ楽しみだ。
  • もう1つ、ジャガーさんで面白いと思うのは、痛いネタを「痛い」の一言で終わらず、とことん突き詰めようという姿勢だと思う。もちろん不発のときもあるが、その姿勢だけで十分に魅力的だ。紙一重の妙味を狙って果敢に寒いネタを捻じ込む姿勢が素晴らしい。
  •  

とりあえず今日はここまで。
今日の成果は、

暫くはこの調子で自分を掘り下げる作業を続けていく予定。

2003年1月28日(火) 

 
ヒカルの碁
  • 俺にとってのヒカルの碁の魅力はやっぱり塔矢洋行。俺より強い奴に会いたいからプロやめますって発想に痺れた。例えば、ヒカルが自由に対局したいからプロにはなりません、とか言い出すなら、たぶん俺の食指は動かなかったと思う。一番保守的なイメージが強かった洋行さんの決断だからこそ面白い。彼が大きな犠牲と引き換えに行った決断が報われる日が来るのか、その前に話を終えてしまうのか。目が離せない。
  • 洋行さんが決意するキッカケとなった相手は成仏してしまいました、という展開でようやく幽霊が主人公の師匠だった点に面白さを感じた。もしも主人公の師匠(左為に相当する人物)が生身の人間で事故死や病死で主人公が後を継ぐという展開だったら、話が雰囲気が大きく変わってしまったことだろう。左為は帰るべきところに帰ったのだという奇妙な安心感があるからこそ、“置いてけぼりにされた”洋行さんが栄える。
  • 主人公のヒカルは現在バトルバトルバトルの真っ最中。俺は度重なるバトル描写を、若い世代が洋行の夢見る棋士に成長するまでの修行描写だと考えている。だからヒカルの一挙一動が楽しい。普通の漫画ならばメインであるはずのバトルバトルバトルを本当に単なる修行シーンに位置づけられたとしたら、俺の心の中でヒカルの碁は殿堂入りするだろうな。
  •  
ONE PIECE・俺がONE PEICEに感じる魅力は将来の可能性だ。俺はてっきりグランドラインに突入して以降はさらに過激なバトルorアドベンチャー路線でいくのかと思った。ところが、アバラスタ編、ジャワ編で描かれたのは様々な立場の人間がそれぞれの思惑に基づき好き勝手に動くゴチャゴチャした展開。正直言って爽快感に欠けるし、もうちょっと話を整理できないかのかと思うこともあるが、それ以上に、このゴチャゴチャした展開に原石のような魅力を感じる。尾田先生はなにが描きたいんだ? どんなつもりでこんな展開にしているんだ? もしかして、この先、何十という海賊団が思う存分暴れ回るバトルロイヤルを展開するつもりで、アバラスタ編やジャワ編はそのための練習をしているのか? 扉絵という形でゲストキャラを使い捨てで終わらせないというのはワンピースの魅力的な手法だと思うが、それが単なる読者サービスではなく、前述のバトルロイヤルに向けた伏線だとしたら、俺の心の中でONE PIECEは「よくある漫画」から「ポストドラゴンボールに相応しい傑作」にランクアップすると思う。俺は帰ってきたワポルを見たい。 
ハンター×ハンター
  • 少年漫画の“お約束”の裏を掻く展開は面白い。登場人物に厭味がなくて好感が持てる。主要4人以外はいつ犬死に(意義ある死じゃないというのがポイント)するか分からないというスリルが堪らない。以上、ハンター×ハンターには幾つもの魅力があるが、個人的に最も期待しているのは、全快の富樫節が生み出す少年漫画の結末。遊幽白書やレベルEの結末はなんとなく尻きれとんぼな印象が強かった。ハンター×ハンターもああいうお茶を濁した結末で話を締めくくるのか、それとも最終回に向けてどんどん火力を上げて炉を爆発させて話を終えるのか。もしも「期待させるエピソードほど呆気なく終わらせるのが昨今の富樫節」という印象自体がクライマックスに向けてのフェイントだとすれば、俺的に富樫は神。そしてドッジボール戦で見せた展開の見事さから、俺はそれを期待している。
  • 個人的にはゴレイヌの明日が心配だな。
  •  

本日分の成果。

あまり大したことではないが

2003年1月31日(金) 

 
遊戯王・「人間の全力は運命の前では紙屑同然」というのは、魅力的な悲劇のワンスタイルだ。その人間が本気であればあるほど、努力をすればするほど、明るい未来を夢見れば見るほど、理不尽な理由で無残に吹き飛ぶ姿が堪らない。…俺は海馬社長の後ろ姿にそんな悲劇の主人公的な魅力を見た。勝利を確実なものにするために努力を重ねる社長。勝利の美酒を味わいたいがために自らデュエル大会を開く社長。圧倒的有利な状態に達し勝利を確信し高笑いする社長。その全てが理不尽な展開を目の当たりにして「なにーっ!?」と叫ぶための伏線だ。そして健気に兄の勝利を信じる弟木馬の存在。城之内、杏、本田などの“お友達”に囲まれた遊戯が「友情」という言葉を盛んに使うからこそ余計に弟以外に仲間と呼べる存在がいない社長が引き立つ。現在の構図が崩れない限り、俺は遊戯王に熱狂し続けると思う。もしも、理不尽な展開ではなく、ちゃんとした試合運びで社長が遊戯に負けたとすれば、その時点で俺は遊戯王を読む理由が無くなるかもしれない。 
BLACK CAT・正直な気持ち、特殊能力バトル自体はどうでもいい。俺的にBLACK CATに感じる可能性はトレインを中心とした愛憎劇だ。トレインに壊れた愛情を寄せるクリード。トレインに嫉妬を抱くイヴ。うまくやれば恋愛や性愛ではない熱狂的な愛を描けるのではないか。その意味で俺はBLACK CATの将来をすごく楽しみにしている。もしも本当に愛憎劇をメインにするのであれば、むしろ各キャラの特殊能力やその使いかたに説得力をもたしちゃいけないだろうな。 
ナルト
  • ナルトをあくまで泥臭い少年として描き続けているのが面白い。戦闘能力はぐんぐん上がっているけど、危機管理能力も判断力もまだまだ甘い、忍者としてはそれほど大した奴じゃない。ナルトの感じる悔しさやもどかしさはまさに夢見る少年のそれそのもの。果たしてナルトはどこまで行けるのか。それが俺が感じるナルトの第一の面白さ。
  • そんなナルトに嫉妬してしまうサスケも面白い。サスケが嫉妬しているのは本当にナルトに対してなのか? それともナルトの中に眠る九尾の力に対してなのか? 例えばナルトの身体の中から九尾の力が遊離してしまったとすれば、そのときサスケはナルトをどう思うのだろう? 血統のお陰で他人より素質がある。でも、あくまで他人と比較して素質があるだけ。それ以外に特別なところはない。まさか回りの人間はサスケがナルトに嫉妬しているとは思うまい。だが、実際にサスケはナルトに嫉妬しているのだ。周囲から天才と呼ばれるプレッシャーを負担に感じる人間のつらさをよく表現できていると思う。サスケがどのような応えを出すのか楽しみだ。
  •  

このRPGはここが最高に面白かった

とりあえずFF5〜10で。

 アナドレミン最大放出場面 詳細解説 
FF5 もしやこのゲームはレベル一桁でクリアできるんじゃないかという推測が頭の中に浮かんで確かめるまで。 
FF6 なし。 無しとはいっても、平均的に質が良かったので、駄目作品な訳じゃない。 
FF7 インターナショナル版のスーパーノヴァを見たとき。ノーマル版とのギャップが華を添えた。 バハムート零式や超究武神覇斬も乙。 
FF8 デタラメだと思ったゲームシステムの設計思想にそれなりの一貫性があることに気づいたとき。 サイトを開いたお陰で気づけた。初プレイ時から3年半目でこの思いを味わえたというのが強烈だった。 
FF9 「いつでもリジェネ」の意義を理解できたとき。 名無しさんのレスが間接的なキッカケとなり気づけた。名無しさん、ありがとう。 
FF10 通常攻撃のダメージ計算式に3乗が使われているのではないかと予感したとき。 

こうやって表にしてみて思ったが、俺はFFの“やりすぎ”感が好きなんだな。
FF7インタ版のスーパーノヴァはやりすぎ。FF10の3乗を組み込んだダメージ式もやりすぎ。FF8の主人公もやりすぎ。FF9の説明書もやりすぎ。
さらに言えば、FF5で“キャラ毎にジョブ絵を描きました”というのもやり過ぎだと思ったし、FF6の背景グラフィックを最初に見たときもやり過ぎだと思った。FF2の強引なすじ運びも。FF4の過剰なまでのちびキャラ演出も。FF1の二頭身→三頭身のグラフィック変化だって。
ネタをネタとして楽しめない人にはFFって向かないのかも?
余談だけど、俺がFFX-2とFF12に期待しているのも「次はどんなことをやりすぎるのかな?」という部分。FFX-2は前情報の時点ですげえ期待できるし、FF12もプロデューサーの今までの作品から見て期待している。面白さは保証できないけど、やり過ぎ感は保証できるよ→ベイグランドストーリー。

2003年2月4日(火) 

 

※次回更新は2月18日(火)の予定です。その先のことはまだ分かりません。更新が不規則&スローペースになる可能性も高いです。

ボーボボ
  • ボーボボの面白さは「聖鼻毛領域は精神を開放させる世界!」という言葉に凝縮されているように思う。ギャグ漫画のフォーマットを採用しているけど、その本質はむしろトリップ漫画と言えるかもしれない。この漫画を読んで“飛べる”人と“飛べない”人にはっきり別れるのはある意味で当然のことだろうなぁ。
  • この漫画と中期ドラゴンボールは「あっという間に読みきってしまった」というのがむしろ誉め言葉だね。
  •  
ミスターフルスイング
  • 最初は、明らかにギャグ担当じゃないキャラがギャグをやるのに違和感を感じたが、むしろそこがこの漫画の面白さだと気づいた。今のところモミアゲくん(モミアゲヌンチャク)、部長さん(銀河鉄道)と見事に突き進んでいる。凪さんや根子くんの番が楽しみ。
  • 要するに、こち亀が20年掛けてはじめたキャラ崩しを、この漫画は“少年漫画のお約束”をフル活用することで一気に始めちゃったんだな。どちらも興味深い。
  • この漫画もBLACK CAT同様、特殊能力バトルの場面はオマケだね。
  •  
ルーキーズ
  • “いっそのこと試合に負けちゃったほうがおいしい話が作れる”というのが、漫画全体に程よい緊張感を与えている。
  • ところが、主要メンバーの芯が強すぎるんだ。彼らにとっての最悪の展開として、もし殺傷事件でも起きて廃部してしまったとしても、こいつらならぎりぎりのところで挫折せず乗りきれるだろうなと思ってしまう。だから、どうにも俺はのめりこめない。好きな漫画なんだけどね。
  • 個人的には、平塚の末路が楽しみ。末は道化かヒーローか。
  •  

ShortText

2003年2月18日(火) 

 

※次回更新は3月4日(火)の予定です。その先のことはまだ分かりません。更新が不規則&スローペースになる可能性も高いです。

漫画考察

グラナダ
  • 主人公の性格とグラナダの科学力。どちらか一方(個人的には後者に期待してしまうけど)を魅せることに絞ってくれれば、今すぐにでも人気が出るんじゃないかなと思う。そう思うぐらい主人公の性格と題材の相性の悪さが惜しい。古代科学のロマンが主人公の万能っぷりの前に霞んでしまっている。今からウルトラCを実行するには、残された時間は少ない気が。どうなる?…なんて想っていたら、回想エピソードに。
  • 正直、現代の話よりも回想のほうが面白い。犬が消滅してしまったり、博士の指も消滅してしまったり。その辺の怖さにゾクゾクしてくる。今から挽回は間に合うか分からないけど激しく期待。
  • 俺は伊藤先生のことよく知らないけど、ノルマンディと見比べて思うに、ああいう性格の主人公が好きなのかな?
  •  
シャーマンキング
  • この漫画のどこが個人的に物足りないのかと思って出た結論は、台詞の回りくどさだった。回りくどい台詞っていうのは読者の興味を煽る基本テクニックだけど、この漫画はその回りくどい台詞を、従来の基準じゃ計れないほど引っ張るんだ。
  • シャーマンキングは俺にとって物足りない印象が強かったのだけど、それでも読み飛ばせない、なんとも言えない魅力があった。それが何なのか今まで分からなかったけど、上記の文章を書いてやっと気づいた。俺がこの作品を捨てられない理由は「今まで溜めに貯めた伏線を一気に炸裂させたらすっげえ面白くなるだろうなぁ」という期待感なんだ。なんだか、その一点に明確に気づいた今なら素直な気持ちでシャーマンキングを楽しめるかもしれない。
  • 伏線を消化しないままどんどん膨らませるという点では3×3EYESなんかも同様なのだけど、シャーマンキングはまだ当初の予想の範囲で展開してくれているから、その点で安心しているって部分もあるな。シャーマニズム(パッチ)、教会系(メイデン)、仏教系(ガンダーラ)などはシャーマンキングという題名を聞いた時点での予想範囲だし。俺的には宇宙信仰ネタまでは予想の範囲。
  • 回想や説得シーンの多用は“シャーマンファイトという名称だから一見してバトルモノに見えるけど本質は初期の頃と変わっていない”と解釈すれば、むしろ自然かな。
  •  
ストーンオーシャン
  • 見れば見るほど、想像力の限界を惜しく思う。もちろん、俺自身の想像力の限界にね。すごく印象的な構図にシチュエーション。ああ面白そうだな。すごく面白そうだな。この映像が脳の中で滑らかに流れたらすごく面白いだろうな。そう思うたびにこの漫画が静止画で、それを脳内で動画に組み立てられない自分がもどかしい。もしも(絵の魅力と息遣いを損なうことなく)フル動画でやってくれたら、俺みたいに、この方向におけるイマジネーションの欠如のせいで楽しめない人でも熱狂できるんだろうなぁと思うと、勿体ないなぁと思う。5部も同様の印象。今の俺が適応できるのは正直4部まで。ちょっと無念。
  • そのダイナミックな映像美に追いつけない俺の立場から言わせてもらうと、バトルバトルバトルな展開ではなく、第4部のようにじっくりねっとり一人一人を何度も描いてくれたほうが(理解できて)楽しめるのだろうな。もちろん、そうやってかみ砕いた面白さは、本来ストーンオーシャンが持っている魅力には叶わないのだが。
  • JoJoの第5部とストーンオーシャンをジャンプで読んでいて思うに、話が間延びしているというより、一週間ごとに二十ページ程度をコンスタントに公開するという発表システムそのものが、今の荒木節を読者に送る媒体としては窮屈すぎるのかもしれない。二時間映画を仕方なく15分ずつ区切って8回に分けて見ているような。でも、だからといって既存の枠の中でオーバーセーブしちゃったら勿体ないと思うんだよね。俺は荒木先生がその作風をとことん昇華しきった先にある“なにか”を知りたいんだ。
  •  

創作道いよいよ第二段階へ

もともと創作道は、CrownArchiveの方向性に対する迷いから始めたものだった。
小説作法や論文作法を導入すれば、今よりコンテンツの完成度が上がるかな?
そこで去年の師走の段階で、小説や論文の作法を中心に研究する「作家道」を始めようと思い、その予告もしたのだが、実際に文献や関連サイトを漁っているうちに、ちょっと違和感を感じはじめた。
感情移入的な部分にウエイトを置く小説作法も、説得力にウエイトを置く論文作法も、いまいちしっくり来ない
思えば、筆者は、感情移入とは対極に位置するFFが大好きで、説得力を度外視したトンデモ本の愛読者でもある。そして、このサイトでは、そういったマニアックな面白さを追求している。
小説や論文の技法をそのままサイトに導入したら逆につまらなくなるんじゃないか?
小説や論文の技法は、あくまでそのジャンルの中に置いて特化されたものであって、別ジャンルにそのまま適用しても駄目っぽい。
いま自分が書きたいものと、小説や論文では距離があり過ぎて、“半年”という時間的な区切りの中でそれなりの成果を得るのは難しそうだ。
そこで、
小説作法の研究中心の「作家道」から、より扱う題材に制約がない「創作道」に方向転換
したのが今年の初めのこと。
そして、
娯楽性の観点から言えば、このサイトの方向性は小説よりもライトノベル、ライトノベルよりは漫画や大衆向けRPGに近い
そんな思いから、漫画考察を開始した訳です。
これが前回更新分までの流れ。
 
で、各漫画の魅力を突詰めていくうちに、各々の漫画の長所がバッティングすることに気づいた。例えば、アイシールド21はいつも話の繋げかたと着地のうまさに驚かされるが、あれを例えばスラムダンクでやったら別漫画になってしまうなぁと思う。
同じボクシング漫画でも、はじめの一歩的な演出と展開をリングに賭けろでやったらマズイし、逆にリングに賭けろ的な演出と展開をはじめの一歩でやってもマズイ。
全ての傑作に共通する要素というのはなんだろう? 例えば、ドラえもんと覚悟の勧めとパズルゲームハイスクールに共通する要素って、なんだろう?
あれこれ考えたんだが、出た答えは1つだった。それは、
テーマを突き詰めること
例えば、同じバトル漫画でも、

グラップラー刃牙格闘者たちの鬼気迫る情念描写こそが最大の見所。激しいアクション描写も、そのための手段に過ぎないな。 
ドラゴンボールアクション映画のような躍動感と迫力の再現。 
JoJoの奇妙な冒険表面的には特殊能力系バトル漫画。でもその本質は題名にも記されているように奇妙な出来事や現象を表現すること。第5部ディアボロの末路はバトル漫画としては失格だが、奇妙漫画としては素晴らしい仕上がりだった。 

このように表現したいテーマは大きく異なる。
言い換えれば、
ジャンルすらテーマを表現するための道具に過ぎない
突詰めれば、
創作物における全ての表現はテーマに依存する
リアリティを追求した結果としてテーマがぼやけてしまうなら、そもそもリアリティなんて追求しないほうがいい。リアリティを追求しない結果としてテーマがぼやけてしまうなら、リアリティの構築に全力を注ぐべきだ。
テーマを追求した結果として支持層が限定されてしまったとしても、それを覚悟のうえでテーマを追求しているのであれば、その点を指摘して、けなしたり笑ったりするのは野暮かも。
中途半端に色々な意見を聞き回って焦点の定まらない曖昧なものが出来てしまうよりは、たとえマニアックな内容になったとしても、テーマをとことん突詰めた作品のほうが面白いかな
その意味で、例えば、宝塚歌劇団とかWWFは、実に見事なものだなぁと思う。
 
そこまで辿り着いて、ようやくCrownArchiveの方向性に対する迷いが和らいだ。
CrownArchiveは、
主にDQFFを題材に、意外な視点に触れる面白さを形にしたい
というコンセプトテーマがあるのだけど、そのテーマにおいて妥当かどうかだけに意識を集中させてコンテンツを作っていけばいいんだ。
 
…右往左往した末にスタート地点に戻るというのは、なんか青い鳥の話を地でいくようで情けないやら恥ずかしいやら。
 
でも、まあ、そういうことで方針が決まったので、この先の『創作道』では、実際にどうやってテーマを表現していくかという部分の研究と実験に力を入れていこうと思います。

という訳でゲームネタ完全解禁です

創作道を続けているあいだはゲームネタより創作道を優先するつもりだったけど、創作道の過程でゲームネタを扱う必要が出てきたので、ゲームネタを完全解禁させて頂きます。

今だからこそFF8 in 2003 もっと便利でもっと面白い内容を目指し、大リニューアル。
FF8給料制の謎 AAコラム。ネタなのか本気なのか分からない珍説の醍醐味が味わえれば。
最近のFFが退廃している訳じゃない AAコラム。よくよく考えれば当たり前な盲点ネタです。
見事なりキスティスFC AAコラム。FF8のキスティスFCについてのプチ考察。FF8をより深く味わいたい人向け。
DQFFの戦闘システム比較 AAコラムが続いたので、今度は真面目系コラムを2連発。
FFのアビリティ制について 上のコラムともども目から鱗が落ちるようなコラムになれば。

テーマをいかに表現するかという部分に力を入れたら、こんなコンテンツが出来ました。
 
次回の創作道では、テーマに基づいてサイトをリニューアルしていく流れをお見せできれば。


前のページに戻る
トップページに飛ぶ