前提1:漫画のゲッターロボは面白い

前提2:石川賢の描く漫画は面白い

前提3:でもゲッターロボもやっぱり面白い

この記事はWikipediaの怪しい記述を打倒するために書かれました。

残念なことにこのページの作者はほとんど漫画のゲッターロボしか知りません。特に基本であるはずの初代アニメ版を見てません。
OVAの新ゲッターロボなら見てます。
また、故・石川賢先生の漫画もそれなりには読んでいるものの、特別詳しいほうではないと思います。
ただ、Wikipedia全体に見られるもやもや感に対する思いをまとめるためにここにまとめてみることにしました。
2008年の現在、Wikipediaのゲッター関連の記述は間違い・憶測・妄想・微妙な内容が入り混じってて、全部を信用するのはとても危険だといえる状態になっております。
浅いファンでしかない私でも微妙だと思うレベルです。アンサイクロペディアに書いてありそうな内容も入ってます。

1.ゲッターロボとは

ゲッターロボとは、3つのゲットマシンという飛行メカが合体して完成する巨大ロボット。
合体機構は普通に再現できない。このロボットは玩具的に合体変形を再現することを目的としていないので、それが逆に強い個性となって、面白い。
バランス重視のゲッター1、スピードとドリルのゲッター2、重厚な戦いを得意とするゲッター3。
また、ゲッターロボはゲッター線と呼ばれるエネルギーで動いている。
ゲッター線はかつて恐竜を滅ぼし、人類を進化させたと言われる未知の宇宙線である。
ゲッター線は、どうやら何らかの意思を持っていて、人類を選んだらしい。
ゲッター線とは何なのか?ゲッターとは、ゲッターエネルギーとは、ウオオ
というお話。

実は漫画版ゲッターは、新規読者への敷居は低いです。それほど大長編というわけではないので。
石川賢の独特の絵柄さえ慣れれば、あんまり考えずに普通に読めると思います。
なお、物語が単独で完結してる「ゲッターロボ號」から読むのがとくによいと思います。
それから興味を持ったら他のシリーズを読んでみるとよいと思います。
ただし「真ゲッターロボ」は後にしとけ。最低でも號を読んでいないと意味が全くわからんぞ。

2.漫画のゲッターロボがどのようなものであるか

まず基本的なことすら理解してない人がいるようなので。

ゲッターロボは、基本的にアニメ作品の企画が先行している。
現在有名な石川賢の漫画版は、「原作者じしんの手によるコミカライズ」という位置付けであり、原作ではない。
内容もそれぞれ相違が多く、アニメも漫画も、どちらが原作であるとはいえない関係にある。
エヴァンゲリオンの漫画とアニメの関係に(ちょっと違うが)近い。

またその漫画版であるが「原作:永井豪 作画:石川賢」などと書かれているが、実際には漫画作品としては大部分が石川賢の手によるものである。
これはその後のアークまでの一連のシリーズ全てに言えること。
しかし、少なくとも企画段階やデザインなどでは永井豪が大きく関与している。
このため、ずっと永井豪の名前はクレジットされている。
だから、石川賢も原作者だし、永井豪も原作者である。どちらも間違いではない。
ただ現在の「作画:石川賢」「漫画:石川賢」など、公式に見られる記述はむしろ正しくないような気がする。困る。

ゲッターロボの漫画は大きく分けて5つのシリーズがある。
「ゲッターロボ」「ゲッターロボG」「ゲッターロボ號」「真ゲッターロボ」「ゲッターロボアーク」
これらは全て同一の世界観にあるため、まとめてゲッターロボサーガとか呼ばれる。

発表順は
「無印」「G」「號」「真」「アーク」
時系列順では
「無印」「G」「真」「號」「アーク」
號と真が入れ替わっていることに注意したい。
現在の「號」は、「真」に合わせて早乙女研究所関係の一部シーンが描き換えられている。

3.各作品の簡単なまとめ

当たり前ですがほとんど私見です。

「ゲッターロボ」「ゲッターロボG」
前述の通りアニメのコミカライズで、アニメ先行の漫画。
アニメと漫画は登場人物の基本的な設定から異なっているので、完全に別物とされることが多い。漫画はやたら暴力的な描写が目立つ。
ただし、この2作はあくまで「やたら暴力的なコミカライズ」であり、発表された時点ではアニメの終了にあわせ普通に終了している。
現在の版ではいきなり絵柄の違うシーンが間に挟まっているが、それは後年に読みきりや再編集の際に追加されたもの。
だから加筆で描かれているブライ大帝誕生の経緯などは後付け設定と考えられる。

「ゲッターロボ號」
91年、新しいアニメの放映とともに連載された。
これもアニメ先行の作品で、ゲッターが完全変形する玩具が当時発売されていた。
完全変形できない前提で創られたゲッターロボという作品が、この作品では完全変形できるデザインを前面に押し出している。
もっとも、漫画のほうでは変形後にパーツがなくなってたりするので、完全変形は作品の評価とはあまり関係ないようである。

で、アニメと漫画はやはり全く内容が違う。
そもそもアニメは旧作のゲッターロボと繋がりが無いのに対し、漫画はいきなり神隼人が登場。
その後各国のスーパーロボット軍団などを出した挙句に、旧漫画版と同一世界であったことが判明。
そして、ゲッター線で動く「本当のゲッターロボ」である真ゲッターロボが登場、物語はクライマックスに向かう。
真ゲッターロボは、やっぱり完全変形できないデザイン。玩具の企画どうの以前に、真ゲッターはアニメには全く登場しない。

この作品によってゲッターロボの物語は完結を見る。だからこの漫画はまとまりがよくて、単体の漫画としてもとても面白い。
石川賢の漫画は「戦いはこれからだ!」で終わるパターンが非常に多いので、すっきり終わったというだけでもこの漫画の評価は高くなっている。
あと真ゲッターばかりに目がいきがちだが、アラスカ戦線のロボット軍団もすごいぞ。登場人物も個性的で派手な展開が目白押し。

アニメ終了後も漫画が続いた(いちおう体裁上はコミカライズなのに!)ことや、真ゲッターの圧倒的なインパクトなど、漫画版の高い評価に対し、現在ではアニメ版ははっきり言ってマイナーロボット扱いである。
タイトルだけは知られているのにほとんど内容は知られていない。かくいう私もさっぱり知らない。

ここから先のゲッターは、TVアニメとは関係ないところで展開されていく。

「真ゲッターロボ」
96年〜99年、双葉社のスーパーロボット大戦のアンソロジー本に目玉として掲載されていたという、ちょっと変わったメディア展開がされた漫画。
内容は旧作と號の間をつなぐストーリー。真ゲッターロボがどのように完成し、早乙女研究所はどのように崩壊したのか、空白期間を埋めるはずだった。
なのだがなぜか物語は宇宙規模の一大戦争の様相を呈していき、壮大なサーガの幕開けを思わせる内容に。
號で一旦完結したはずのゲッターロボは、大幅に拡大したゲッターサーガとなって更なる続編を生み出すことになる。
この漫画は非常に観念的でわけがわからない内容なので、最初に読むのは危険。
発表時期はOVA「真!ゲッターロボ」と重なってるようだが、別にOVA版の原作ではない。

「ゲッターロボアーク」
ほぼスパロボ関連本であるスーパーロボットマガジンの創刊から休刊までに連載された漫画。
石川賢によるゲッターロボシリーズの最後の作品。
内容的には真ゲッターロボで広げた部分を引き継いでいるが、見所はむしろ神隼人のアクションと敷島博士であろう。
恐竜帝国のハン博士やゲッターザウルスチームなどの脇キャラの描写もナイス。
晩年に描かれただけのことはあり、抜群に面白いのだが、設定を過去作からかなり引き継いでいるため、ここまでの全作読んでいたほうが楽しめると思う。
いや、本当に面白いんで、ここまでなんとか読んでください。神博士のダブルマシンガンが火を噴くぞ。

アークは、最後に壮絶な戦いを予感させながら、「第1部完」として終了。
その後、第2部が描かれることはついになかった。

石川賢先生の死後に始まった「ゲッターロボ飛焔」は、世界観を共有しているようである。

4.真ゲッターロボとスーパーロボット大戦

まあ、スパロボは無視できんのだ、困ったことに。

91年の最初のスーパーロボット大戦は、ガンダム・マジンガー・ゲッターの3チームで争うという話だった。
それ以降、ほぼ全部のシリーズにガンダム・マジンガー・ゲッターが登場し続け、過去の作品を再評価させるきっかけともなった。
で、95年「第4次スーパーロボット大戦」に、漫画のゲッターロボ號からまさかの真ゲッターロボが登場する。しかもデザインは新規描き起こし、漫画に登場しなかった真ゲッター3も生まれた。
そう、ゲッターロボは古くて新しいロボットになったのだ。ガンダムに歴史の重みで対抗できるのだ。
更に真ゲッターの参戦はマジンカイザーを生み出すきっかけにもなった。
なぜこのときゲッター號が登場しなかったのは気にするな。現在に至るまでゲッターロボ號(アニメ版)がスパロボに登場したことはない。
まあ、後にネオゲッターロボという名前で生まれ変わって登場してはいるのだが…

というわけで、真ゲッターはスパロボのためにデザインされたロボットではないが(あろうことかここを勘違いしてる奴がいたんだよ!)、スパロボによってデザインを進化させたロボットでもある。
その後真ゲッターの誕生秘話を描く漫画もスパロボ関連本に載って、ゲッターサーガをわけのわからないものにしてしまった。

このシリーズではテレビ版ゲッターチームが真ゲッターに乗ることに違和感を持つ人も多い。
というより、漫画版のイメージがきつすぎて、スパロボに登場してるのはテレビ版と漫画版が混ざってるゲッターチームになってるようで、
声はアニメ版だけど武蔵が特攻したりゲッターエンペラーみたいなのが出てきたりとオリジナルのようなそうでないような存在になっているらしい。

5.ゲッターロボの面白さとは

まずゲッター號は格好いいです。完全変形できる青くてスタイリッシュでドロドロしてないゲッター號は、でもしかし格好いい。
(ゲットマシン1についてるファン状のものが漫画では合体後どの形態でも無くなってるが)
別に真ゲッター路線だけがゲッターサーガの面白さではないのです。
インパクトが強すぎてよく話題になるゲッターエンペラー(惑星を握りつぶすほどデカイ)ですが、これは出オチ的存在であって、それを考えたこと、説得力のある画にしたことは凄くて面白いのだけど、
こいつを軸に話を進めると結局世紀の未完漫画虚無戦記と同じところへ向かいそうだというか、
エンペラー艦隊が登場することで、戦力的には最下層レベルになるゲッターアークに意味が無くなる、などということはないでしょう。
ゲッターってのは、それぞれいろんな時代にいろんなゲッターがいて、そいつら全部がそれぞれ大切なんじゃないですかい…
とにかくエンペラーや真ゲッターによってインフレが始まるのは漫画「真ゲッターロボ」だけど、この漫画は過去作の設定が出まくる、時系列が飛びまくる、オリジナルの設定もわきだす、内容も微妙に矛盾してる、と慣れていないと非常に読みにくいため、この作品から読むのはやめたほうがよいです。

あとはいいや!面白いところはきっと他の人が解説してくれてるし!
ロボと乗員の両方が強くて格好いいだけのことだ!
ゲッターロボは素晴らしい漫画なんだ!

號以降のゲッターサーガの中心にいるのが、ナンバー2である神隼人だったのが私にとってはとても印象深い。
神隼人は、もちろんゲッターチームの一員なので怪物的な戦闘能力の持ち主なのだが、それ以上に頭脳派で天才的な司令官として描かれている。(こういうタイプの人物は石川賢作品でも珍しい気がする)
リーダーとして危険な発言を繰り出しながら自分でゲッター作るし、最期には博士になって若者を見守る立場になってるくせに自分がマシンガン担いで戦闘するし。
あんたはランドウと戦ってボロボロになってたんじゃなかったのかとか、ゲッター號は橘博士が造ったんじゃないのかとか、プラズマボムスって何だとかそういうツッコミを許さない。
神さんカッコイイ。
ゲッターの進化に置いていかれる神さん可哀想。

6.ゲッターサーガはどうなるのか

続きはなあ…
私は求めているのかどうかで言うのなら、求めていた。
石川賢の手による続編が描かれるのを見たかった。
それは、石川賢のゲッターロボが面白いからだ。

ようやく気持ちの整理がついてきたのだけど、
石川賢はゲッターロボだけを描いてきた漫画家ではないという気持ちもあるし、
石川賢の漫画はほとんど未完で終わるのが必須条件みたいでもあるし、
「真」と「アーク」が無くて號で終わっていたほうが綺麗だったかもしれないし、
でもゲッターロボアークは面白いし、

実際のところ、真ゲッター以降にゲッターサーガを絶望的な規模にまで広げたのは大部分が賢先生の手によるものと思われ、
他の人にこれを広げることも閉じることもできないと考える。
せいぜいが同レベルのものを模倣して描くまでで。
模倣しても結局虚無戦記モドキになっちゃうだろうし。

そういう意味で、私はアークの直接の続きを求めてはいないと思う。
他の作者に描いてもらってもあんまり嬉しくないし、石川賢の手によって答えをまとめられていても困惑していた可能性は否定できない。
もしゲッターロボアークが映像化されたりなんかしちゃったらそれは嬉しいけど、最終話は原作から変えないのが理想と思ってしまうし。

とりあえずWikipediaを利用してゲッターを無理やり完結させようとするのはやめてください。

追記:「すばらしいこと」
ゲッターロボアークの作中で、進化しすぎたゲッターはかなり明確に「悪しき存在」として描写されている。
ゲッターが敵と戦うために仕方なく進化したのではない。明らかに宇宙にゲッターの敵はいないのに、それでもゲッターは進化して、他のものを排除していく。

「虚無戦記」と結び付けやすいのはまさにここで、
虚無戦記のストーリーについて軽く触れると、宇宙を滅ぼそうとするラ=グース(神?)という存在の脅威を描く物語で、
「ラ=グースのひとつの細胞」と称する敵が既にゲッターエンペラーくらいの戦力を持っていて、こいつとの戦いだけで虚無戦記の全巻を費やしてしまうという壮大すぎる物語なのだが、
確かにこいつと戦うにはエンペラーくらいの進化は必要かもしれない。そのうちラ=グースとの戦いになるかもしれない。
だからゲッターは悪と呼ばれようとも進化を続けるのだ。

というありきたりな結論で済ませてよいのだろうか?と。

同じ石川賢の「真説・魔獣戦線」でも、進化する生物が宇宙規模の敵と戦う、というテーマが提示されて、そこで終、となるのだが、
これらの虚無戦記的作品群とゲッターが明確に違うのは、ごまかしもなくゲッターロボが悪であるという描写。
「ゲッターロボ號」の時点では、竜馬は一度ゲッターを降り、だがゲッターの意思を見て再び真ゲッターロボに乗り込む。
ゲッターはいろんな人々を飲み込んでいった危険な存在だが、はっきり悪として描写されていたわけではない。
生命の向かう先をゲッター線が示すという物語だった。
「アーク」では違う。ゲッターは宇宙を滅ぼす。

OVA「新ゲッターロボ」では、やはりエンペラー同様に過剰な進化を遂げた存在が登場するが、それは「ゲッターの行き着く一つの姿にすぎない」とも言われていた。

たぶん、賢先生も悩んでいたのではないだろうか。
アークが単にラ=グースなり時天空なりとの戦いを目的にしていたとすると、「ハチュウ人類はゲッターに選ばれない」ことの説明がつかない。
アークの作中にはカムイやハチュウ人類たちに感情移入させる描写が多数存在するのに、ゲッターはハチュウ人類を選ばない。
それにゲッターの敵が攻めてくる可能性はあるのか?そして、そいつらにゲッターが勝利した先は?
もしかしたら、ゲッターを止めるべきなのかもしれない。誤った進化を遂げたのかもしれない。それでもゲッターは進化し続けるのかもしれない。

ゲッターロボアークが完結しなかったのは、それはそれでも良かったからなのか。
私は悩んでいる。

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