考察

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1月10日

評価の変遷の実例

人の評価は月日の経過にあわせて変わるもの。筆者も、そういうことは山ほど経験しています。DQFFに限っても↓。

 以前 現在 
DQ5 購入当時はつまらないゲームだと思った。ストーリー展開が強引すぎ。しかも爽快感がない。 いい話だ。このゲームが追求したのは爽快感ではないのだな。 
DQ6 購入当時はつまらないゲームだと思った。DQ5同様、爽快感がない。特技取得にたくさんの戦闘をこなさないといけない。あとネーミングセンスが終わってる。ふざけるな宇宙ヒーロー。 DQ5同様、爽快感を重視した作品ではないので爽快感云々の評価は筋違い。実はレベルさえ上げれば特技はそれほどなくてもクリアできる。特技にこだわらず、今までとおりメタル狩りをすれば良かったんだなぁ。宇宙ヒーローなどのネーミングも鳥山イズムの導入だと考えれば納得。 
マーニャとアリーナ 昔はアリーナ派。マーニャは色気過剰すぎると思ったよ…小学生なりに。 今はマーニャ派。ただアリーナが嫌いになった訳ではないので、単に自分の年齢に近いほうが馴染み易いということなのかも 
ポリゴン 否定派。ある程度、技術が進むまでは無闇にポリゴンを使うべきではないと思った。 FF7のバトルを見て考えが変わった。カメラワークは面白い。 
フルボイス 台詞を聞く速度より読む速度のほうが早いので、今までは積極的に省略していた。 FF10を遊んでみて、演出手法の一環としてボイスを搭載するのは「あり」だと思った。文字では表現しにくいニュアンスを伝えるという意味でも、ああいう形のボイス導入は賛成。 
経験値稼ぎ 否定派。DQシリーズはメタル系という形で経験値稼ぎを短縮できるのが魅力だった。 経験値稼ぎを楽しめないFF8のお陰で、経験値稼ぎの楽しさに目覚めた(笑)。 

DQ5、DQ6と遊びかたそのものを間違えてしまった。FF8のお陰で近代DQの面白さに気づき、お陰でDQ7はすごく楽しめた。現在はDQ5、DQ6のリメイク版を心待ちにする日々。きっと今ならDQ5、DQ6を楽しめると思う。
実は、このサイトのメインコンテンツの題材になっているFF8ですら、俺は当初、

最初の印象期待していたラグナの扱いが小さすぎるよ…うわ〜ん。モンスターが少なすぎる。建造物も少なすぎる。Disc2中盤で世界中を旅できるようになって、スカスカなFF8の世界に絶句。Disc4で今までの町戻れないという仕様に涙。グラフィックはよい。主題歌もいい。でも、それ以外の部分が…。もうやめようとまで思った。 
クリア時の印象なんとか頑張ってエンディングを見た。いいエンディングだった。今までの苦労は報われたと思った。FF8は素材は良いのに、どこかで間違ってしまった勿体ないゲームだと思った。 

そして時は流れ。

サイト運営中CrownArchive開設。当時かなりの分量があったDQ4ガイドとのバランスを取るために、FF系コンテンツが欲しいと思った。そこで白羽の矢が立ったのがFF8。FF8はダメゲーだけど、コツさえ掴めば、それなりに快適になる。せっかく購入したゲームなのに途中で挫折するのは勿体ない、そういう人を少しでも減らすために、という気持ちからコンテンツ制作開始。 

ところが。

FF8コンテンツ制作中コンテンツ作成のために深く遊べば遊ぶほど、何度も目から鱗が落ちる思いを体験。嗚呼なるほど、この要素にはこういう意味があったのか。これはあれと組み合わせて考えてみると意味があるのか。今まで「間違っている」と思った部分の殆どに、それなりの設計思想が読み取れるという意味で、FF8は大したゲームだ。ただ、DQ1〜4に対するDQ5〜7のように、他のFFシリーズと比べて方向性が違うから、従来のFFの基準で遊ぼうとすると楽しめない訳だ。 

このFF8に対する印象の変化は、FF8コンテンツ制作中に起こったもの。だから、FF8コンテンツ制作初期と現在では、CrownArchive内での主張にもかなりの差が見られる。

 FF8コンテンツ制作初期 現在 
ドロー ドローの仕様はなんらかの形で変更すべき。今のままでは退屈。テンポ悪すぎ。 FF8の魔法入手システムの本質は精製。ドローを便利にしたら精製の意味が無くなる。リメイク版を出す際は、ドローを便利にするよりも、精製の有意義さを前面に押し出す方向でいってほしい。 
ラグナの足 ジュリアの前では足がつったのに、レインの前では足がつらないのは勿体ない。ラグナの足つりはネタとしても美味しいのに。レインの前での足つりイベントを追加したほうが面白くなるのでは? ラグナがジュリアの前で足が吊ってしまった理由は「緊張した」から。ラグナにとってレインは憧れの対象ではなく、一緒にいたら心が落ち着く相手だから、レイン面前での足つりイベントはやっぱり無いほうがいい。 
スコールの心の変化 Disc3でいきなり性格が変わるのは反則。 よく見るとDisc2を通して少しずつ変わっている。しかもスコールがリノアを守ろうと思ったのもDisc3ではなくDisc2終盤。決してスコールの変化は唐突な訳ではない、むしろ意図的にプレイヤーに唐突だと思わせるよう仕向けたような節もある(詳細は今後の更新にて) 
SeeDの位置付け なぜ学生部隊がそこまで強いのか等いろいろとツッコミどころはあるけどゲームだから仕方ねえか。 SeeDが強いのは他の軍隊では使用を禁じられているG.F.を存分に活用しているから(GFが無ければ魔法装着によるパラメタ強化も不可能)。しかもノーグとその傘下の教師たちはG.F.の副作用は根も葉もない噂に過ぎないと誤魔化している。ノーグにとってガーデン経営はあくまでビジネスであり、ノーグは子供たちを食い物にしている訳だ。 
語られない重要事項 FF8では美味しい題材なのに語られない事項が多すぎる。例えばラグナとスコールの親子の会話とか。スコールがガンブレードを愛用する理由とか。ハイン神話とか。時間圧縮の詳細原理とか。他にももろもろ。 前半のスコールは任務馬鹿だし、後半のスコールはリノア馬鹿。他の話題に興味ない。FF8のシナリオがあくまでスコール視点に徹しているから、結果としてああいう形のシナリオになったのだろうな。作品の技術的側面にこだわりすぎた結果としてサービス精神が失われたようなものか。 

こんな感じで、ずいぶん認識が変わっている。詳細はいずれ取り上げる予定。
 
で、思ったのだが、

  1. この認識の変化、趣向の変化っていうのは面白いテーマに為りうるかも。
  2. 最初はどういう気持ちだったのか。現在はどういう気持ちなのか。どういう理由で変化が起こったのか。変化の原因はなんなのか。どこを取り上げても興味深い話題になりそうだ。
  3. そういった話題を、俺のテリトリーであるゲームや漫画に絡めて扱っているサイトを俺は見たい。読みたい。

このサイトのコンセプトが「見たい読みたいと思ったコンテンツを自炊する」なので、いつか取り上げてみたいですね。

1月28日

各人の嗜好の相違というものがすごく興味深い。例えば、俺はFFシリーズ最高傑作(11は未プレイなので除く)はFF10だと思っているが、「貴方が思うFFシリーズの最高傑作は?」という質問をすれば、当然のことながら意見が割れる。
俺は俺なりの理由があってFF10を推しているのだが、だからこそ他のFFを推す意見が興味深い。もしかして俺が見落としているなにかがあるのか? それとも単なる趣向の違いか? 自分が気づいていない“なにか”に気づいたときの痺れるような嬉しさをまた味わいたいという思いが今の俺を方向付けているんだろうな。

1月31日

このRPGはここが最高に面白かった

とりあえずFF5〜10で。

 アナドレミン最大放出場面 詳細解説 
FF5 もしやこのゲームはレベル一桁でクリアできるんじゃないかという推測が頭の中に浮かんで確かめるまで。 
FF6 なし。 無しとはいっても、平均的に質が良かったので、駄目作品な訳じゃない。 
FF7 インターナショナル版のスーパーノヴァを見たとき。ノーマル版とのギャップが華を添えた。 バハムート零式や超究武神覇斬も乙。 
FF8 デタラメだと思ったゲームシステムの設計思想にそれなりの一貫性があることに気づいたとき。 サイトを開いたお陰で気づけた。初プレイ時から3年半目でこの思いを味わえたというのが強烈だった。 
FF9 「いつでもリジェネ」の意義を理解できたとき。 名無しさんのレスが間接的なキッカケとなり気づけた。名無しさん、ありがとう。 
FF10 通常攻撃のダメージ計算式に3乗が使われているのではないかと予感したとき。 

こうやって表にしてみて思ったが、俺はFFの“やりすぎ”感が好きなんだな。FF7インタ版のスーパーノヴァはやりすぎ。FF10の3乗を組み込んだダメージ式もやりすぎ。FF8の主人公もやりすぎ。FF9の説明書もやりすぎ。さらに言えば、FF5で“キャラ毎にジョブ絵を描きました”というのもやり過ぎだと思ったし、FF6の背景グラフィックを最初に見たときもやり過ぎだと思った。FF2の強引なすじ運びも。FF4の過剰なまでのちびキャラ演出も。FF1の二頭身→三頭身のグラフィック変化だって。ネタをネタとして楽しめない人にはFFって向かないのかもしれない?
余談だけど、俺がFFX-2とFF12に期待しているのも「次はどんなことをやりすぎるのかな?」という部分。FFX-2は前情報の時点ですげえ期待できるし、FF12もプロデューサーの今までの作品から見て期待している。面白さは保証できないけど、やり過ぎ感は保証できるよ→ベイグランドストーリー。

2月4日

RPGというものはディズニーランドのアトラクションのようなものだと考えれば分かり易い。あそこには本当に見るだけのキャプテンEO(もうないけど)から、脳内補完が全てのトムソーヤ島まで全部揃っている。園全体をRPGという一つのジャンルだと見做すわけだ。アトラクションそれぞれが既存のRPGのなにに当たるのかを考えることは面白い参考になるかもしれない。

3月18日

漫画は趣向品、じゃあTVゲームは?

プリティフェイスや半熟忍法帳みたいなベタな漫画を見ていると、漫画はOnlyOneの世界じゃなくて、趣向品なんだなぁと思う。
ゲーム界も本当は漫画と同じで色々な方向性の作品が育つべきなんだろうけど、

  • 実際に買うまで“感触”が分からない(漫画だったら雑誌で先読みできる)
  • 単価が高く博打買いしにくい(映画なんかと比べてもね)

そのせいで、どうしても安全な選択肢(シリーズモノ、ブランドモノ、評判の良いもの)を選びかち。難しい問題だねえ。

4月29日

外国のプログラム本で気づいたこと(4月29日)

ちょっと目についたところだけでも、

  • 前書きか後書きで片っ端から感謝しまくる。
  • 表現が回りくどい。逆に彼らが日本人の書いた文章を読んだら、あっさりし過ぎて物足りないだろうな。
  • 全体的に日本人の書いた文章と違う。うまく説明できないけど。

ずいぶんと文化が違うものだな。なにか手掛かりが得られそうだ。もう少し考えてみよう。

5月12日

個人的な印象だが、JoJo第四部とDQ7の構造とテンポは似てる。どちらも結末に向かって一直線という構造ではなく、起承転結で読みたい人には無駄なエピソードだらけ。でも、その本筋には関係ない無駄なエピソードこそが魅力なんだよな。その作品で描きたいのがドラマなのか世界観なのかでテンポに対する評価は変えるべきかもしれない。


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