筆者なりのDQFFロマン

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DQロマン

DQシリーズの中で、筆者が特に強く設定上のロマンを感じたのがDQ2とDQ7だ。
まずDQ2。
主人公たち3人を結び付けるものが、友情でも恋心でもないところが面白い
続いてDQ7。
マリベルとキーファが好奇心に溢れているところが良い
漁船に忍び込んだマリベル。城を抜け出すキーファ。ごく普通の年頃の若者であるオルカよりも、そんなマリベルやキーファと仲が良いという設定から、俺の中で『見た目は頼りないけど、冒険を夢見る少年』というアルス像は自然と出来上がった。なにかの目的を果たすための手段として冒険するのではなく、冒険そのものが目当てなのが実に良い。
『好奇心から世界を再生→故郷を救うために立ち上がる→自分たちが作った今の世界を守るために決戦を挑む』という流れも素晴らしい。DQ1〜3のように宿命から戦う訳ではなく、DQ4〜5のように復讐心から戦う訳でもなく、ただ身近な人や馴染み深い世界を守りたいという一心から戦うというシチュエーションも、親しみ易かった。
客観的に見て、DQ2とDQ7はそれぞれに大きな弱点(DQ2は難易度、DQ7は自由度)を抱えているために万人にお勧めできる作品ではないが、個人的には(←ポイント)とても好きな作品だ。

昔のDQで上手いと思ったところ

DQ2雨露の糸のありか竜の角にあるという情報と、適当な一個所に糸を配置するだけというお手軽な構造ながら、実に楽しいイベントに仕上がっている。 
DQ4第5章のイムル村のイベント一周目はイムル村でピサロの夢を見ないとロザリーに会う方法が分からない。二周目以降は見たい奴だけ見ればいい。じっくりシナリオを楽しみたいプレイヤーと、とにかく先に進みたいプレイヤーの双方の欲求を満たせる見事な構造だと思う。 
アイテム目当てのダンジョンDQ3のガルナの塔(悟りの書)、DQ4の滝の流れる洞窟(はぐれメタルの剣)、DQ5の封印の洞窟(王者のマント)など。 

思うに、
参加を強制されると参加したくなくなるが、参加自由だと参加したくなる
そんな、プレイヤーの捻じれた心理を巧みに突いたイベントって楽しいよなぁ。

FF3も冒険ロマンのゲーム

FF3の主人公たちが冒険に出るキッカケ。それはクリスタルの啓示を受けたから。…でも、今のRPGの基準で見てみると。
クリスタル「おまえたちはえらばれた……
 わたしのなかにのこった さいごのひかりを……
 さいごのきぼうを うけとってくれ。
 このままでは このひかりもきえてしまう……
 すべてのバランスがくずれるのだ。
 ひかりをうけとれば クリスタルより おおいなる
 ちからを とりだすことができる。
 おまえたちは きぼうをもつものとして
 えらばれたのだ。
 このせかいを けしてしまってはならない……」
これだけ。単に「クリスタルに頼まれた」だけ。でも、これを単なるお使いゲームだと思ってはいけない。タイトルデモを思い出そう。
4にんの しょうねんたちは みなしごで
へんきょうのむらウルの そうりょトパパに そだてられた。
だいじしんで クリスタルがちちゅうにしずみ
そこにできた どうくつへとやってきた。
4にんは たんけんきぶん
ちょっとした どきょうだめしのつもりだった・・・・
そう、
この時点の主人公たちにとって、クリスタルの啓示が信用できるかは大した問題ではない。好奇心いっぱいの若者たちにとって世界を旅する大義名分が出来ただけで万々歳なのだ。
DQ7の項でも同じ事を語ったが、目的をかなえる手段が冒険ではなく、冒険そのものが目的なのである。そして彼らは様々な出会いと別れを経てクリスタルの啓示が真実だと実感していき、少しずつ英雄へと成長していく。
その辺の案配が個人的には大好きだ。


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