FF8の時間構造

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『過去改変』はもはや定番のテーマだが、過去改変によって生じる矛盾のフォローまで共通化されている訳ではない。よく見かけるものは、

ドラえもん型の過去改変。過去を変えた結果がそのまま現代や未来に反映されるという考えかた。例えば、未来の誰かが過去に行き、のび太の両親の結婚を邪魔してしまうと、のび太の存在は消滅してしまう。このような世界観のもとでは、過去改変は、全人類の消滅と隣り合わせのとても危険な行為だ。スクウェア製のゲームでは『クロノトリガー』がこのような世界観を採用している。
ドラゴンボール型の過去改変。過去を変えるとパラレルワールド(平行世界)が生じるという考えかた。このような世界観のもとでは、パラレルワールド間を移動する手段がなければ、過去改変は自己満足に終わってしまう。スクウェア製のゲームでは『クロノクロス』がこのような世界観を採用している。
ドクタースランプ型の過去改変。このタイプでは、上2つと異なり『過去に原因→未来に結果』という因果律は必要ない。その代わり、過去に介入できたとしても、歴史を変えることはできない。何故なら、もともとの歴史自体が、未来からの介入を考慮した内容となっているからだ。『ドラゴンクエスト5』がこのような世界観を採用している。

ABとCではとても大きな違いがある。それは、

『過去に原因→未来に結果』の因果律が大前提となっている。
『過去に原因→未来に結果』の因果律に縛られない。

一見するとCは無茶苦茶に感じるかもしれない。だが、そのように感じてしまうのは、我々が科学の発達した現代日本に生きているからだ。
 
ギリシア神話、北欧神話、プロテスタント系キリスト教などでは、

  • 人間が自分の意志で行動しているように見えるのは気のせい。
  • 人間は予め定められた運命をなぞっているだけに過ぎない。

という世界観を採用している。このような世界では『過去に原因→未来に結果』の因果律は成立しない。どんなに不条理な展開でも運命として定められていれば発生する。だから、上に挙げた神話や聖書では『預言』が絶対視されるわけだ。なんとも不自由な世界だが、人類には未来を見通す力がないため、ぎりぎりのところでバランスが保たれている。Cの時間観は、この考えに沿ったものだ。
 
一方、古代ギリシアの哲学者の一派は当時主流だった『運命』という概念に頼らずに世界を理解できないものかと思索した末に代用となる世界観を編み出した。それが『過去に原因→未来に結果』という因果律の積み重ねで世界が動いているという考えかただ。AとBの時間観は、この考えに沿っている。
参考までに書いておくと、BはAから枝別れして生まれた概念だ。Aでは下手に過去をいじると因果律が破綻してしまう。過去を変えても因果律が破綻しないようにとSF作家が考え出したアイディアがパラレルワールドというわけだ。
ちなみに、因果律に基づいた世界なら、法則を知ることさえ出来れば、未来を『予測』することができる。そのような確信のもとから発展したのが科学だ。つまり、

運命説世界は運命に基づいて動いている。(幾つかの)神話の基盤になっている考えかた
因果律説世界は因果律に基づいて動いている。(現在主流の)科学の基盤になっている考えかた

要するに、因果律は比較的新しい説であり、時代や地域によっては運命説が信じられていたとしても決しておかしいことではないのだ。科学の浸透している現代日本に住む人間の多くが因果律を当たり前のように認識しているのも、ある意味で当然のことだと言えるだろう。
 
だが、我々の住む世界が因果律を採用した世界だからといって、創作物まで因果律を採用しなければならない訳ではない点に注意してほしい。そもそも、ファンタジーとは架空の世界の醍醐味を味わうもの。我々の住む世界とは別のルールで動いている世界というのもまた乙なものだ。
 
 
 
 
さて。予備知識の解説も終わったことだし、そろそろ本題に入ろう。筆者が冒頭で挙げた過去改変の3つのパターン、

ドラえもん型世界の基本原理は『過去に原因→未来に結果』の因果律科学的
ドラゴンボール型SF的
ドクタースランプ型世界の基本原理は恣意的な『運命』(因果律は不要)神話的

肝心のFF8は、どのタイプの世界観を採用しているのだろうか。

  • そもそも、SeeD結成の理由が因果律(『過去に原因→未来に結果』)を破っている。
  • だからAとBは有り得ない。

おそらくFF8はCを採用しているのではないか。

  • Disc2でスコールは、シドやエルオーネに振り回される現状に苦しんでいた。だが、実はシドやエルオーネも含めてFF8の登場人物の全てが運命に振り回されていたのではないか。そして運命に最も振り回されたのが最終敵アルティミシアだ。
  • Disc2でアーヴァインは『運命に流されてここにいる訳じゃない』と語る。だが、この発言の時点ではまだSeeDの由来も未来の魔女の存在も時間圧縮も知らないことに注目してほしい。運命に逆らって進んだ“つもり”だったのに、全てが終わって振り返ってみると、ちっとも運命から外れていなかった(そのことを知っているのはスコールとイデアだけだが)という皮肉な展開こそ運命を題材にした物語の醍醐味、定番中の定番だ。
  • FF1は、ファンタジー世界観+Aを採用していた。世界観と時空観のギャップが味だったわけだ。FF8もまた、科学の発達した世界観+Cを採用することで、世界観と時空観のギャップを狙ったのではないかな? なにせFF8は『神話が実話だったかもしれない』世界だし。

FF8は運命を打破する物語ではなく、運命に翻弄されながらも必死で生きようとする人々の横顔を描いた物語のようにも思う。敵役であるアルティミシアの皮肉な末路を見ていると特にね。

補足

FF8が平行世界を採用していると仮定すると、

  • イデアはどういう理由でSeeDを発案したのか
  • どうしてシドはスコールを特別扱いしているのか

このような疑問に対して新たな答えを探さねばならない。逆に言えば、それさえクリアできれば平行世界説もいいかもしれない。

補足2

FF8の世界が因果律ではなく運命によって成り立っているのではないかと予感させてくれる台詞。

シド「スコールくん、よろしくお願いしますよ。これは君の運命です。魔女討伐の先陣に立つことは君の定めなのです」
スコール「俺の人生が最初から決まってたみたいに言わないでくれ!」

運命が存在する世界ならこの台詞は強烈な伏線になるが、運命の存在しない世界ではこの台詞はシドを嫌な奴にする効果しかない。


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