FF8テーマ論

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FF8テーマ論

なぜファイナルファンタジーで『愛』をテーマにするのか? テーマが『愛』なら、なにもFFに限らなくてもいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。だが、それは大きな誤解だ。
FFシリーズは、他の多くのRPGと同じように、戦いの物語だ。クリスタルに導かれて戦ったFFもあれば、極めて個人的な動機から戦ったFFもあった。戦うの動機こそ作品ごとに違うが『敵と戦う』という大枠を外れたことはなかったのである。
FF8のテーマは『愛』だが、そのテーマを描くために『敵と戦う』という大枠を放棄したわけではない。というよりも、命を賭けて強大な敵と戦うための動機、リスクを承知で危険に立ち向かうための動機が『愛』である。
つまり、

  • FFシリーズは戦いの物語である。
  • 主人公たちが命を賭けて強大な敵と戦うための動機は作品ごとに違う。
  • FF8では、愛する人や愛してくれる人を守るために戦う主人公の活躍を描いた。

FF8はあくまでFFシリーズの一員なのだ。
 

補足いわゆる恋愛SLGは、主人公がヒロインを振り向かせるまでの過程がメインになっている。だがFF8では、先に惚れるのは主人公ではなくヒロインだ。ヒロインの熱意が主人公を振り向かせるのである。この点だけをとってみても、FF8を、いわゆる恋愛SLGと同カテゴリーと見做すことはできないことが分かるだろう。

FF8テーマ論その2

スコールとリノアの暴走ぶりだけを見てFF8のテーマ『愛』を理解したようなつもりになるのは勿体ない。というのも、

  • イデアは孤児たちを守るために自らの意志で魔女になった(エンディングにて)。血の繋がっていない孤児たちに対する愛情というのはFF6のティナがモブリズ村で見せた感情だ。イデアはティナのように子供たちへの愛を担当している。
  • ラグナはエルオーネを助けるためにエスタに乗り込んだ。ラグナはエルオーネを実の娘のように可愛がっていた。ラグナもまた愛する者を守るために邪悪な魔女と戦ったのである。
  • アーヴァインがママ先生と戦う決意を決め、そのことを皆に話したのはトラビアガーデンの校庭。そのトラビアガーデンはセルフィの母校。セルフィはミサイルで命を落とした友人のことを墓場で悲しんでいた。アーヴァインは愛しのセルフィの悲しむ姿を見て恩師であるママ先生を倒す決意を固めたのではないか?
  • あれだけ母親のことをうざがっていたゼルの、ガルバディア軍がバラムを占領したと知ったときの変わりよう。なんだかんだ言っても、ゼルは家族を愛している(なんてゼル本人に指摘したら必死で否定するかもしれないが)。彼の担当は家族愛なのだろう。
  • セルフィがミサイル基地に潜入したのは故郷であるトラビアガーデンを守りたかったからだ。彼女が担当しているのは、故知への愛着も含めた郷里愛か。

FF8はテーマ『愛』を様々な角度から描こうとしているからだ。

FF8テーマ論その3

『愛』という言葉を男女間の感情に限定せず、大人の子供に対する愛情を描いたのは、FFシリーズではFF8が初めてではない。例えばFF6では、ティナとセリスという2人のヒロインを使い分けることで、男女間の愛情と大人の子供に対する愛情の両方を描こうとしている。
 
FF8のFF6と大きく違う点は、『愛』に絡めて、子供から大人に成長しつつある不安定な年頃の少年少女の横顔を描こうとしている点だ。10代というのは色気づく年頃であると同時に、守られる立場だった子供から守る立場の大人へと変化する移行期間でもある。
その意味で、サイファーの迷走、キスティスの挫折、アーヴァインの悩みといった、一見すると『愛』とは関係ないようなエピソードもまたFF8には必要なのだ。

  • サイファーは守られる立場を格好悪いもの情けないものだと考えていた。だからティンバーの放送局でイデアに「可哀相な少年」と言われて激しく反発する。彼の意気込みは微笑ましいが、その代償はあまりに大きかった。
  • カーウェイはリノアを過保護なほど愛している。だから、魔女暗殺作戦で部屋に鍵を掛けたり、大佐という地位を利用してD地区収容所にいるリノアを助けだそうとした。だが、リノアはそんなカーウェイの愛情を理解しようとしない。経験不足で視野が狭く他人の気持ちを想像できないのである。
  • イデアに守られてきた子供たちが成長しイデアを救う。守られる立場だった子供から守る立場の大人への変化は肉体的精神的な成長と密接に関わるのだ。

FF8テーマ論その4

ここまでの考察を総合して思うに、FF8がスコール編で挑戦したことは、ヒロイックな物語を描くことではなく、ジュブナイルな物語を描くことだったのだろう。
 
よくある語り口を使えば、
かくしてスコールはアルティミシアの脅威からリノアを守ることに成功しました。
でも若き魔女と騎士の受難の物語はまだ始まったばかりなのです。
それぞれが抱える父親との問題をどう解決するのか。
人々の魔女に対する偏見と不安感をどう乗り越えるのか。
ティンバーの独立という大きな目標もあります。
彼らの前途はまだまだ多難です。
 
…でも大丈夫。
彼らは互いに支え合うパートナーがいます。
共に戦ってくれた仲間たちがいます。
未来の魔女という大きな脅威と向き合う中で培ってきた愛と友情は、
今後も大きな力になってくれるでしょう。
 
粗削りだけど情熱だけなら誰にも負けない若き魔女と騎士の未来に幸あれ。
なんてところかな。
スコールとリノアの未来にはたくさんの困難が待ち受けているけど、その困難を一緒に乗り越えてくれるパートナーや仲間を得たことが、アルティミシアとの一連の戦いで得た最大の成果だった。スコール編は一人ぼっちだった主人公がパートナーや仲間を得るまでの過程を描いた物語だったと解すれば、すっきりまとまるのだが、どうだろうか。


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