スコールはDisc3で暴走する。あの暴走、一般的にはスコールの恋愛感情の爆発と認識されているが、どうもしっくりこない。確かに、
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ここまでは劇中で確認できる。だが、一番肝心な『スコールの心の中でリノアの位置付けが仲間から恋愛対象に変わるシーン』が見当たらない。これは一体どういうことだろうか。
スコールは10年以上、他人とは打ち解けずに生きてきた。だが、それは決して自然な状態ではない。本来スコールは他人への依存心が強い人間だ。エルオーネ失踪のショックから、無理して一人で生きていこうとしていたに過ぎない。
嬰児期 | スコールは肉親の愛情を浴びずに育った。ラグナはスコールの存在を知らなかったし、レインはスコールが生まれてすぐ死んでしまった。 |
幼少期 | 孤児院時代、肉親に代わってスコールに愛情を注いだのはエルオーネだった。だからスコールはエルオーネにべったり懐いていた。 |
その後 | ところが、スコールが頼りにしていたエルオーネは失踪してしまう。スコールは喪失感を抱いたまま年齢を重ねていく。 |
スコールの胸に空いた穴を塞ぐことができるのは、かつてエルオーネがスコールに注いだような、打算のまったくない強い好意や愛情だったのではないか。だが、スコールはエルオーネ失踪のトラウマのせいで、他人の好意を素直に受けとることができない。
SeeD就任後 | 無愛想かつ冷たい言動のせいで、なかなか他人はスコールに近寄れない。だが、リノアだけは違った。恐いもの知らずのリノアはズカズカとスコールの内面に踏み込んでいく。それはエルオーネ失踪の喪失感を塞ぐ絶好の機会だったが、大切な人を失う恐怖心から、スコールは素直にリノアを歓迎できない。 |
Disc2後半 | アーヴァインの話を聞き、スコールは考えを変える。孤立主義をやめたスコールには、もうリノアの好意を拒否する理由はなくなった。 |
スコールにとって、リノアはエルオーネに代わる存在だったのだろう。打算なしに強い好意や愛情を注いでくれるのであれば、どんなにトラブルメーカーでも構わない。はっきり言ってしまえば、誰でも良かった。最も熱心に分かり易くスコールに好意を抱いたのがリノアだったから、スコールはリノアになびいたわけだ。
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つまり、スコールがリノアに抱いている想いの正体は、
× | リノアを愛したい。能動的な感情。 |
○ | 誰かに愛されたい。受動的な感情。 |
スコールは愛したい側ではなく、愛されたい側。だから『スコールの心の中でリノアの位置付けが仲間から恋愛対象に変わるシーン』なんて、そもそも存在しないのだ。ある意味、スコールの過去設定の全てがリノアの騎士になるための理由付けだったと言えるだろう。
実は、肉親に注いでもらえなかった分の愛情を誰かに注いでもらいたいと思っているのは、スコールだけではない。リノアもそうだ。ラグナロクで2人きりになったとき、リノアは愛の囁きではなく両親の思い出を語るのはそんな彼女の気持ちの顕れである。
ただし、リノアはスコールに肉親の代わりになってくれることを望んでいる訳ではない。実父カーウェイと喧嘩中の彼女は、カーウェイとは違う愛の形を望んでいるのだ。
今まで筆者はFF8で描かれている愛情は、いわゆる親子愛と男女愛に別れていると書いてきた。だが、その認識は本当に正しいのか。
スコール編の主要キャラクターはみな肉親との縁が薄い。
ゼル | 戦争で肉親を失ったが、ママ先生やゼル夫妻の愛情を一身に浴びて、屈託のない元気な少年に育った。 |
エルオーネ | ゼル同様、戦争孤児。短期間とはいえ、レインとラグナの愛情を十分に浴びることができた。 |
キスティス | 養父母とうまくいかず、頼れる人がいない。一時期スコールに頼ろうとしたが、スコール自身も頼りたい側の人間だったので、うまくいかなかった。 |
アーヴァイン | 頼れる人間がおらず、自分で自分を支えるために自信家を演じていた。本番でメッキは簡単に剥げてしまったが、そのとき自分を支えてくれたスコールに感謝し、のちに共に戦う決意を固めた。 |
セルフィ | トラビアガーデンで良い友人に恵まれて元気に育った。 |
スコール | 不安定な日々を送っていたが、パートナーを得て、ようやく落ち着けた。 |
リノア |
要するに、スコールとリノアが育んだ関係は、親子愛の代替なのだ。
今まで関連性が殆どないと思われていた親子愛や仲間たちの描写は、スコールとリノアの物語に密接に繋がっているのである。
紆余曲折を経て結ばれたスコールとリノア。この先、彼らの思いが「愛されたい」から「愛したい」に変わることはあるのだろうか?
答えは Yes だ。スコールとリノアの“その後”はFF8劇中でしっかりと暗示されている。試しに3人の魔女、アデル、アルティミシア、イデアの半生を思い出してみてほしい。
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要するに、他人を愛する気持ちの原点は、自分が十分に愛された経験にあるとFF8は主張しているのだ。その意味で、愛された経験の少ないスコールとリノアが、愛を注ぐ対象よりも、愛を注いでくれる相手を欲したのは、自然なことなのである。
シドに愛されたイデアがやがて孤児たちに愛を注いだように、スコールとリノアも、深く付き合っていくうちに「愛されたい」という気持ちは満たされ、より能動的な「愛したい」という気持ちが芽生えてくるのではないか。少なくとも、スコールとリノアの関係がまだ発展途上にあることは、
野島「彼らも今回のストーリーの先に愛があるんだろうけど、本当の愛にいたるまでの3分の1を進んだってところでしょうね」
アルティマニアp.355で野島氏も語っている。
要するにFF8は、愛とは人から人へと受け継がれていくものだと言いたいのだろう。キャッチーな言葉を使えば、FF8テーマは、愛は愛でも愛の継承ということになる。
老人「ハインは人を減らそうと考えて、ひどいことに子供を消していきました」 孫娘「私みたいな子供を…?」 老人「(前略)…そのときの皆も、もちろん怒ったのです。そして、ハインとの戦いがはじまりました」 |
補足 | 魔女の力が血統とは無関係に継承されるという設定は意識的に為されたものかもしれない。ラグナがエルオーネに注いだの愛、エルオーネがスコールに注いだの愛、イデアが孤児に注いだ愛、ディン母さんがゼルに注いだ愛、みんな血統を超えた愛情だ。魔女の力が血統と無関係なように、愛の継承もまた血統に束縛されるものではないのだ。 |
FF8は、とても甘ったるくて気恥ずかしい物語だ。だが、それはスコールとリノアの惚気っぷりが恥ずかしいとか、そういう次元で済むものではない。
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こんな直球ストレートなメッセージが込められていたなんて知ったら、別の意味で恥ずかしさのあまり悶える人間が続出するかもしれない。
FF8のテーマは紛れもなく『愛』だ。主人公とヒロインの過去と現状、仲間たちの挫折や成長、大人たちの決意と行動、そして、単なる背景設定に見えた神話。ばらばらに見えたメイン設定の全てが、そのテーマを支えている。
深入りする気がなければスコールとリノアのお惚気ストーリーということで終わらせることができる。とことん深入りする気なら歴史レベルにまで膨らませることもできる。FF8のシナリオ構造は実に面白い。