ゲーム序盤、サイファーはスコールにこんなことを言う。
サイファー「お前、本物の戦場ははじめてだろ? 怖いか?」
スコール「…わからない。でも、考えると怖くなりそうだ」
(Disc1序盤-SeeD実地試験中の会話より引用)
ところが、はじめての戦場とは思えないほどの勢いでスコールはガルバディア軍を蹴散らしていく。その後もスコールたちの活躍は続き、ついには世界を救う。
このスコールたちの信じられない活躍の裏にあるものはG.F.だ。
|
魔法を集めるだけで、人間の努力を超えた力が手に入ってしまうG.F.。スコールたちの強さはそのG.F.に依存したものであり、自らもそのことを自覚している。
スコール「戦い続けるかぎり、G.F.が与えてくれる力は必要だ。その代わりに何かを差し出せというなら、俺は構わない」
(より引用)
だが、G.F.のお陰で強化できるのは戦闘力だけだ。“こころ”まで強化できる訳ではない。
ゼル |
|
アーヴァイン |
|
キスティス |
|
リノア |
|
つい数日前まで訓練生にすぎなかったゼルやアーヴァイン、教員資格を剥奪されて自信を失ってしまっているキスティス、スコールたちと共に行動するまで普通の少女だったリノアは、いざというときに適切な判断力を発揮できず、それぞれ致命的な失敗を冒している。幸いスコールはそのような失敗を冒さなかったが、
スコール(今は1人で大丈夫。生きていく手段も身につけている。もう子供じゃないから何でも知っている…。ウソだ。俺はなにも知らなくて混乱してる。誰にも頼らず生きていきたい。それにはどうしたらいいんだ? 教えてくれ…誰か教えてくれ。誰か? 結局…俺も誰かに頼るのか?)
(Disc2中盤-ガーデン漂流中のワンシーンより引用)
ぎりぎり一歩寸前まで追い詰められていた。あのままの心理状態が続いていたら、重圧に耐えられず精神的にダメになっていたかもしれない。
FF8の物語を味わううえで有益な1番最初のキーワードは、
世界最強の軍人であると同時に年相応の少年少女にすぎないという二面性。
主人公たちの性格的な欠陥がそのままFF8の物語の魅力といってよいだろう。決して完璧ではない少年少女が力を合わせて大きな困難に立ち向かっていく。FF8はある意味で王道中の王道の物語を採用しているのである。
ゲーム前半、スコールたちはG.F.の記憶障害を信じていない。
キスティス「それ、G.F.批判の人たちが流している単なる噂よ」
(より引用)
というのも、
覆面教師「他ガーデンおよびに各国軍関係者のG.F.批判は無視するように」
(より引用)
覆面教師が隠しているからだ。
だが、どうして覆面教師は嘘をついてまで生徒にG.F.を使わせるのだろう? そこにどんな利点があるというのか。
実は、Disc1中盤以降、ドールでこんなメッセージを読むことができる。
老人「SeeDを雇うとまた税金が高くなるのぉ…」
(より引用)
ここでSeeD実地試験の様子を思い出してみよう。
キスティス「16時、ホール集合。各班のメンバーを発表します」
(より引用)
シド「この試験にはA班からD班まで総勢12名が参加しますが…」
(より引用)
シド「正SeeDは9名参加します。君たちが全滅しても、彼らが確実に任務を果たしてくれるでしょう」
(より引用)
セルフィ「SeeDおよびSeeD候補生は1900時に撤収。海岸に集合せよ!」
(より引用)
整理すると、
|
つまり、たった21人の兵士を3時間送っただけで、一国の財政を直撃するぐらいの金をふんだくったのだ。
そう、ノーグとその手下の覆面教師たちにとってガーデンの生徒たちは金儲けの道具に過ぎないのだ。
覆面教師「SeeDはガーデンの重要な商品だ」
(より引用)
この覆面教師の発言は、生徒たちにプロの傭兵としての自覚を促すためのものではなく、単なる本音だったわけだ。
FF8の物語を味わううえで有益な2番目のキーワードは、
バラムガーデンの表面的な賑やかさと、その裏にある残酷さのギャップ。
ある意味でFF8はとても残酷な物語だ。バラムガーデンにいた何百という生徒たちはみな金儲けの道具に過ぎなかったのである。
そんなバラムガーデンに救いがあるとすれば、
金髪の少年「おはようございます、先輩。僕はこのガーデンを離れませんよ。もう1つの家みたいなものですから」
(より引用)
ノーグたちにとっては金儲けの手段に過ぎなかったバラムガーデンも、幼少期からそこで暮らしていた子供たちにとっては掛け替えのない場所になっていたことだろう。
ノーグ「シド・捕まえろと・命令したら・生徒・シドの味方・しやがった! ブシュルルル! ブシュルルル! わしの・ガーデンなのに・だ!」
スコール「違う! あんただけのものじゃない」
(より引用)
だが、ノーグはそのことを理解することなくガーデンを去ったのである。
エンディングでスコールは過去の孤児院に辿り着く。
(より引用)
このエピソードには一体どんな意味があるのだろう?
実は、このエピソードこそガーデンとSeeDが誕生したキッカケなのだ。
(より引用)
(より引用)
(より引用)
クレイマー夫妻は最初から“成長したスコールがSeeDの先頭に立って邪悪な魔女と戦う”ことを知っていた。そういう重い宿命を背負うスコールに対し、少しでも力になりたいと考えた。
(より引用)
(より引用)
(より引用)
では、どうしてクレイマー夫妻はそのような重要な真実をスコールに直接語れなかったのだろう?
実はシドがスコールに真実を語ろうとタイミングを見ているシーンが劇中に幾つか存在する。
シド「あとでじっくり話しましょう」
(より引用)
だが、
シド「スコール、よろしくお願いしますよ。これは君の運命です。魔女討伐の先陣に立つことは君の定めなのです」
スコール「俺の人生が最初から決まっていたように言わないでくれ!」
(Disc2中盤-ガーデン起動時の会話より引用)
物語中盤以降はスコールの心理状態が不安定になってしまい、とうてい宿命がどうの時間がどうの説明できる状態ではなかった。
FF8の物語を味わううえで有益な3番目のキーワードは、
物語序盤からエンディングまで引っ張り続けるとても長い伏線
エンディングを見たあと、それまでの物語を思い返して「あの発言はこういう意味だったのか」「あのときの謎の行動にはこういう意味があったのか」と想いを馳せるのもFF8の楽しみの1つだろう。
リノアは面白いキャラクターだ。「はぐはぐ」や「好きにな〜る」などの冗談発言も面白いが、それ以上に彼女の位置付けが物語的に面白い。
リノア以外の仲間たちは、兵士としての訓練をもう何年も受けている(キスティスで8年、スコールに至っては12年)。それに対してリノアは、そのような特別な訓練は何も受けていない。そんな彼女が、いつの間にか、スコールたちガーデン生と一緒に行動しはじめる。
(より引用)
もちろん、兵士としての訓練を積んだことのないリノアが、スコールたちの真似事をするには限度がある。
リノア「私、みんなと一緒にいてときどき感じることがあるんだ。あ、今、私たちの呼吸のテンポが合っている…そう感じることがあるの。でもね、戦いが始まると違うんだ。みんなのテンポがどんどん速くなっていく。私は置いて行かれて、なんとか追いつこうとして、でもやっぱり駄目で…」
(Disc2終盤-トラビアガーデンの幼馴染イベントより引用) (より引用)
みんなに追いつきたいけど追いつけないと弱音を吐くリノア。そんなリノアに対し、今まで共に戦ってきた仲間たちはどのような反応を示したのか。
アーヴァイン「分かるよ、リノア」
(Disc2-トラビアガーデンでの幼馴染イベントより引用)
リノアに最初に声を掛けたのは、5人のガーデン生の中で唯一SeeDではない、魔女暗殺作戦や収容所でみんなに情けない姿を見せてしまったアーヴァインだった。
アーヴァイン「誰かいなくなるかもしれない。好きな相手が自分の前から消えるかもしれない。そう考えながら暮らすのってツライんだよね〜。…だから僕は戦うんだ」
(より引用)
ガーデン生だからスコールたちの気持ちも分かるし、スコールたちほど意志が強くないからリノアの気持ちも分かる。そんなアーヴァインがリノアを励ますために語りはじめたこととは……。
FF8をSeeDの活躍物語として見た場合、リノアとアーヴァインには存在理由がない。だが実際のFF8は、ヒーローたちの活躍に胸躍らせる物語ではなく、子供と大人の狭間で揺れる少年少女の紆余曲折を描いた物語だ。その象徴ともいえる、この2人を受け入れられるかどうかでFF8全体の印象はずいぶん変わってくるだろうね。
FF8のテーマは『愛』だという。FF8で『愛』と言われれば、多くのプレイヤーはスコールとリノアの関係を思い浮かべるに違いない。だが、FF8で描かれている『愛』はそれだけではない。
(より引用)
(より引用)
(より引用)
カーウェイ、イデア、そしてラグナ。彼らに共通するのは、どんな手段を使ってでも子供たちを守ろうとする強い決意だ。
|
ディン母さんとゼルの関係も含め、FF8にはまっとうな親子関係が1つもないところが興味深い。
ゲーム終盤、スコールやエルオーネはかつて自分に愛情を注いでくれた大人たちと再会するが、
イデア「…ごめんなさい、私の子供たち」
(より引用)
リノアごとアルティミシアを過去に送ったエルオーネの頭を撫でるラグナ。 |
(より引用)
(より引用)
(より引用)
カーウェイの好意を受け取れないリノア、普段はなんだかんだ言ってもやっぱり母親のことが大切だったゼル、過去を知ることができて嬉しそうなエルオーネ。バラエティに富んでいる。
詳細は新スコール論と新リノア論で書いているので、ここでは要点を簡潔にまとめるに留めておこう。
幼い頃のスコールは甘えん坊だった。
(より引用)
だが、
(より引用)
親代わりだったエルオーネの突然の失踪でスコールは変わってしまう。
(より引用)
一人で生きたいと願うスコール。
(より引用)
だが、数日前まで候補生にすぎなかった17歳の少年には荷が重すぎた。藁にも縋りたい心境のスコール。そんな、精神的にダメダメになっていくスコールに手を差し伸べる女性がいた。
(より引用)
でも、スコールはリノアの好意を素直に受け取れない。ここで他人に甘えれば楽になれる。でも、またいつか、エルオーネのときのように、つらい別れを味合わなければならないのではないか。過去のトラウマがスコールに二の足を踏ませた。
(より引用)
そんなスコールの不安を取り除いたのがアーヴァインだ。
(より引用)
アーヴァインは自分の戦う動機を語ったにすぎない。だが、それはスコールにとっても、とても参考になるものだった。
(より引用)
つらい別れが嫌だったら戦えばいい。今手元にある力を、一人で生きていくためではなく、仲間を護るために使えばいい。スコールはアーヴァインに救われたのである。
なお、Disc3のスコールの暴走は、リノアを失ったショックだけではなく、12年前と同じ悲しみを味わうことへの恐怖心や自分の無力さへの憤りといった、様々な感情が一気に吹き出した結果だと言えるだろう。
幼い頃のリノアはスコール同様、甘えん坊だった。
(より引用)
だが、
(より引用)
母親は死に、父親とは喧嘩中。それでも普段は元気でやっていた彼女だが、
(より引用)
シュメルケに襲われたリノアは恐怖のあまり激しく気が動転してしまう。彼女が今まで平然と戦えたのは、
(より引用)
戦闘のプロが近くにいるという安心感とG.F.による戦闘力の強化のお陰であり、一人ではシュメルケのような下等な魔物にすら満足に立ち向かえないことを、リノアは直接体験したのである。
そんなリノアに、スコールが声を掛ける。
(より引用)
スコールは傭兵としての責任感からそのような発言をしただけだ。そのことは当然リノアも分かっている。だが、それでもリノアは嬉しかった。スコールが一緒にいれば魔物なんて怖くない。
(より引用)
その後、紆余曲折を経てスコールとリノアの仲はどんどん近くなっていく。
(より引用)
リノアは自分を愛し護ってくれる人を欲していたわけだ。
このように、スコールもリノアも、両親との関係の欠損が出発点になっている。
|
一見すると水と油に見えるスコールとリノアは、実は似た者同士なのだ。スコールもリノアも、パートナーがいなければ精神的な平静を保てないところも面白い。
こういう展開ではヒロイン変更なんてまず不可能だし、スコールとリノアの性格変更も難しいだろう。まだ大人ではないが、かといって子供でもない17歳という年齢設定も成る程と思う。
愛には様々な意味や役割があるだろうが、FF8で特に強く描かれているのは、“たとえ自分の身を危険に晒すことになっても愛する人を護りたい”という意志だ。
繰り返しになるが、
|
また、
|
“愛”という言葉で括ってしまうと違和感があるが、
|
彼らの気持ちも見過ごせない。
ゲーム中盤でキスティスは言う。
(より引用)
アルティマニアではこれを“負け惜しみ”と解釈しているが、本当にそうだろうか?
(より引用)
(より引用)
(より引用)
(より引用)
実は、仲間たちの中で最も強くリノアを後押ししたのはキスティスなのだ。
イデアは言う。
イデア「騎士がいない魔女は多くの場合、力を悪しき道のために使ってしまうのです」
(より引用)
これは一体どういうことだろう?
イデア「あのね、リノア。魔女でいることの不安を取り除いてくれる方法を教えましょう。それは…魔女の騎士を見つけることです。いつでも貴方のそばにいて、あなたを守ってくれる騎士」
(より引用)
イデア「騎士はあなたに安らぎを与えます。あなたの心を守ります。だからリノア。あなたの心の騎士を見つけなさい」
(より引用)
魔女は不思議な力を持っているが、精神的な強さは普通の人間と変わらない。正体がばれたら迫害されてしまうのではないかという不安や他人に相談できない孤独が魔女の心を蝕んでいく。魔女にとって最大の敵である不安や孤独を取り除いてくれるのが“魔女の騎士”だったわけだ。
“安心”をキーワードに、スコールとリノアの個人的な関係と、魔女と騎士の関係がうまく重なっているところがいかにも王道って感じでいいね。
魔女とは一体なんなのか。
(より引用)
(より引用)
では、ハインとは一体なんなのか。
(より引用)
(より引用)
この神話は興味深い示唆を色々と与えてくれる。
まず、ハインが人類の敵として描かれている点。魔女は、人類の敵であるハインの末裔あるいは後継者だと信じられていたというのだから、魔女迫害のきっかけは、
× | 圧倒的な魔女の力に対する危惧 |
○ | 魔女が人類への復讐を企んでいるのではないかという不安 |
人々は魔女を怖れ迫害する。迫害された魔女は人類に恨みを抱き悪事を企む。魔女があばれたせいで人々の偏見はますます強まる…。悪循環が何百年と続き、何時の間にか、人々の魔女への不信感と魔女の人々への憎しみだけが残ったわけか。
次に、ハインが創造主(神さま)として描かれている点。魔女の力がイコール神の力なのであれば、世界の法則を好き勝手に捻じ曲げることだって不可能ではないだろう。時間圧縮という大技にハイン神話というバックホーンで説得力を持たせようという試みが面白い。まさにファイナル“ファンタジー”だね。
続いて、人間は子供を護るためにハインに反旗を翻したというエピソード。
FF8では、
|
子供を守ろうとする大人たちの姿が幾度となく描かれているが、その描写に厚みを与えてくれるのがハイン神話だ。FF8世界の人類の歴史は子供を護るための戦いから始まっている。大人が子供を護り、子供はやがて大人になり、かつて子供だった大人がまた子供を護る。そういう愛情の連鎖が神話の時代から現代に至るまで続いているわけだ。
最後に、ハインには仲間も友人もいない点。ハインは人知を超えた特殊な存在なので孤独を苦痛に感じなかったかもしれないが、人間はそうではない。ハインの力を継承した魔女は、周囲の偏見や迫害を受けて、どんどん精神的に壊れていく。
FF8において、魔女は、世界の法則さえも好き勝手にいじることができる万能の存在として描かれているが、そんな万能の存在にとって唯一にして最大の脅威が“孤独”だったというわけだ。仲間も友人も必要としないハインの力を、仲間や友人を必要とする人間が継承してしまうことの悲劇とも言えるだろうね。
FF8の物語は、
|
様々なキーワードがあるが、どれが中核なのだろう?
まず『傭兵』だが、これはゲーム中盤以降の“真のSeeDの戦い”に至るまでの繋ぎにすぎず、とてもメインの要素とは言えないだろう。それに対して『愛』『学生』『大人と子供』の3つのキーワードは密接に結びついている。
FF8は、
|
このように大人と子供を分けている。そのうえで、
|
ゼル |
アーヴァイン |
セルフィ |
キスティス |
リノア |
スコール |
もちろん、人生経験の浅い彼らには色々な部分で限界がある。
その限界をフォローするのが、
(より引用)
(より引用)
仲間の存在だったり、
スコール「戦い続けるかぎり、G.F.が与えてくれる力は必要だ。その代わりに何かを差し出せというなら、俺は構わない」
(より引用)
記憶と引き換えに世界最強クラスの力を与えてくれるG.F.だったりしたわけだ。
チームワークやG.F.の力を借りて突き進むスコールたち。それでもなお突破できない大きな困難が彼らの前に立ちはだかる。
最終敵アルティミシアは未来にいるので戦いようがない。
そんなとき、救いの手を差し伸べてくれたのがラグナだった。
(より引用)
もしもラグナが手を貸してくれなかったら、FF8はバッドエンドに終わっていただろう。最後の最後で助けてくれたのが大人、それも17年間音信不通だった父親だったというのが面白い。
自分たちの手で大事なものを守り通そうとする若者たち。そんな若者たちの出番を奪わない程度に後ろからバックアップしてくれる大人たち。
FF8は主人公たちの“学生”という設定をフルに活用した構成になっている。もともと筆者はFF8のシナリオに対してそれほど良い印象を持っていなかったが、FF8を遊んで感じた物足りなさが、FF8の脚本が駄目だったからではなく、筆者の望む方向性とFF8が目指した方向性の違いに起因するものだと気づいたことで、以前とは違った視点でじっくりとFF8を味わえるようになった。
FF8の物語は、決して万人受けする類のものではないが、かといって無かったことにしてしまうのは勿体ない。