キスティスは教員資格を持っているが、同時にガーデン生でもある。教え子であるサイファーとは同い年、スコールとも1歳差だ。なぜバラムガーデンの首脳部は生徒に生徒を教えるという無茶をしたのか。その理由はG.F.の副作用にある。
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その実験に選ばれたのが、優等生のキスティスだったのではないだろうか。ある意味でキスティスは、ノーグ一派の教育よりもビジネスを優先した姿勢の犠牲者なのかもしれない。
同じガルバディア人であるジュリアの名字がレウァール(ラグナの姓)に変わっていること、リノアが父カーウェイに強く反発していること等を総合的に考えてみると、父が嫌いだから母の姓を名乗っていると解釈するのが妥当か。
ゼルの失言、アーヴァインのヘタレ、キスティスの持ち場離脱、サイファーのスタンドプレイ、リノアの単独特攻など、FF8はシリーズの中でも最もメインキャラクターの失敗が多い作品だ。実は、これらの失敗描写にはちゃんとした設定的な裏付けと意義がある。
そもそもスコールたちは学生に過ぎない。高い戦闘力はジャンクションのお陰。生きるか死ぬかの状況で行動した経験も数える程しかない(スコールはSeeD実地試験が初戦場。キスティスは教師を勤めていたため一年間のブランクがある)。そんな彼らが世界の命運を分けるような大仕事を平常心のまま遂げるほうがナンセンスだ。
他のFF | 肉体的にも精神的にもタフなヒーローたちが活躍する物語 |
FF8 | ノーグによって一流の傭兵にでっちあげられた少年少女が、自分や大切な人を守るためにG.F.を使い続ける物語。 |
Disc2終盤で「記憶を選ぶか、ちから(G.F.)を選ぶか」という難題にスコールたちはぶつかる。そこで彼らがそれほど悩むことなくG.F.を選らんだのは、G.F.抜きでは魔女に対抗できないことを強く自覚していたからだ。記憶を犠牲にしてでも今を戦う力が欲しいと願う彼らの心境を読み解くには、Disc1での失態描写が不可欠なのである。
ガルバディアのデリング政権は反エスタ主義を公然と掲げている。そんな彼らがエスタに攻め込まないのは、いま戦っても勝ち目がないと思っているからだ。
エスタがガルバディアに大して持っているアドバンテージは2つ、魔女と超科学技術の存在だ。ところが、魔女アデルは封印されてしまった。残る頼りは超科学技術だが、国際交流が盛んになるほどエスタの科学技術が国外に流出する危険性が高まる。
エスタにとって超科学の独占維持は死活問題なのだ。圧倒的な技術格差がある今のうちにガルバディアを力でねじ伏せるという方法もあるが、アデル時代の反動からエスタ国民のあいだには厭戦気分が蔓延している。結局、最も都合の良い方法が情報封鎖だったのだろう。
そもそも、サイファーが魔女の騎士に憧れたのは、ラグナ主演の映画の影響だ。そのラグナは魔女アデルを倒し、エスタ大統領になっていた。ラグナは政権を奪うためにアデルを封印したわけではないが、結果的にはクーデターを起こして政権を奪取した革命家ということになろう。
もしかしたら、サイファーはラグナに対する対抗意識から、革命家だと名乗ったのかもしれない。ラグナがエスタ大統領だということは、捕まえたエルオーネから聞き出したのだろう。
ラグナ主演の映画が善良な魔女が偏見から迫害された物語であること、魔女アルティミシアが目的が積年に渡る迫害への復讐であること、魔女を怖れるエスタの一部人間が大統領ラグナに無断でリノアを封印しようとしたこと。
FF8の魔女描写の根底に流れるのは、
よく分からないものに対する人々の不安や偏見 |
まず要点を整理してみよう。
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アルティミシアはどのような世界を作ろうとしたのだろうか。そこでポイントになるのが、
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彼女は始祖ハインのような創造主になりたかったのではないか? 人類を創造してしまったことが始祖ハインの最大の失策と考え、人類の存在しない世界、或いは、人類が魔女にまったく逆らえない世界(=魔女が迫害されることのない世界)を作ろうとしたのかもしれない。
バラムの老人が娘に話す神話やチュートリアルで説明されている仮説が正しいとすれば、おそらく魔女の力の正体は肉体を捨てた大いなるハインだろう。ハインとは大地の支配者であり、人類を作り出した存在。ところが、その暴君ぶりに激怒した人類の逆襲を受けて姿を消してしまった。G.F.が人間の脳内に寄生するように、肉体をもたないハインが人間に寄生したのが“魔女”ではあるまいか。そしてハインは人類への逆襲のタイミングを静かに計っている訳だ。
エンディングのアルティミシアの様子を見ると、『アルティミシア自身は既に死んでいて、魔女の力がアルティミシアの肉体を勝手に動かしている状態』に見える。『魔女は力を継承するまで死ねない』というのは俗説なのだろう。
劇中での描写を見る限り、不可能だと解釈するのが妥当か。未来の人間が過去に介入することすら歴史に組み込まれているようだ。
劇中で明らかな魔女の名前だけを抜粋すると『イデア→アデル→リノア→アルティミシア→イデア→リノア』の順で魔女の力の継承が行われている。FF8エンディングの時点でリノアは体内に魔女の力を2つ内包しているのである。
だが、リノアの体内にある2つの魔女の力がそのままアルティミシアに継承されることはない。もしそうだとすれば、イデア→アデル→リノア→アルティミシア→イデア→リノア(2個)→アルティミシア(2個)→イデア(2個)→リノア(3個)…という風に、魔女の力が無限に増えてしまい、アルティミシアが時間圧縮を使って歴代の魔女の力を集める必要が無くなってしまうからだ。
リノアからアルティミシアに至る流れのどこかで、魔女の力が2人の人間に別々に継承されたと推測するのが妥当だろう。おそらく、アルティミシアの時代にはもう一人別の魔女がいるはずだ。或いは、封印されているのかもしれない。
スコールたちの戦う目的に注目してみよう。
Disc1 | 大統領拉致 | 任務だから。 |
魔女暗殺 | 任務だから。 | |
Disc2 | ミサイル基地に潜入 | バラムガーデンを守りたくて。 |
バラム | バラムをガ軍から開放するため(バラムはゼルのホームタウンでもある) | |
ガーデン衝突戦 | 相手から挑んできた(戦わねば自分たちが殺される) | |
Disc3 | エスタ潜入 | ママ先生を救いたい(スコールはリノアを救いたい) |
打倒アルティミシア | リノアを救いたい(リノアがどうでもよければ魔女記念館に封印して終わり) |
彼らが傭兵としての活躍が描かれているのはDisc1の間だけだ。それ以降は、自分の親が心配だとか、お世話になったママ先生を助けたいとか、愛する人を守りたいという風に、個人的な動機から戦うようになっている。
つまり、
FF8のシナリオの肝は『仕事だから戦う』→『大事な人を守るために戦う』という変化にある。スコールたちの傭兵という設定は、その変化のための前振りにすぎない |
ガルバディア兵時代のラグナは、ティンバーに向かわないでジュリアとよろしくやってるような、あまりバトル熱心ではない男だった。そんな男が遥々エスタに向かい魔女アデルを倒したのはエルオーネを救いたかったからだ。ラグナの元軍人という設定も、スコールの傭兵という設定同様、『仕事だから戦う』→『大事な人を守るために戦う』の変化のための前振りだろう |
FF8は、背伸びしたい年頃の子供たちの微妙な心理を巧みに利用したシナリオ構造になっている。
スコール | 一人で生きたいという願いは実は痩せ我慢に過ぎなかった。→『俺…本当は他人にどう思われてるか、気になって仕方ないんだ』 |
アーヴァイン | 地味で気の小さい自分を変えようと、服装や言動を変えてみたが、やっぱり駄目だった。 |
キスティス | 秀才として周囲から一目置かれているが、実は苦労人。けっこう崖っぷち。→養子先でうまくいかなかったり、教師免許を剥奪されたり、慰めてほしかったスコールに暴言を吐かれるなど、悲惨な体験が多い。精神的な迷いがDisc1での持ち場離脱に繋がったのだろう。 |
ゼル | あまり物事を深く考えず勢いだけで生きていたら、デリング大統領にうっかり自分たちの所属をばらしてしまった。 |
リノア | 誰かの役に立ちたいという想いが空回りして逆の結果に繋がっている。→『私にも誰かが守れるなら戦う』と言って参加したガーデン衝突戦で結局スコールに助けてもらう羽目に。 |
なぜFF8は主人公たちの青さを描かなければならなかったのか? それはラグナ編との対比させるために必要だったのではないかと筆者は考えている↓。
ラグナ編とスコール編の骨格はよく似ている。
スコール | 傭兵の男が、大事な人(リノア)を助けるために、魔女(アルティミシア)と戦う。 |
ラグナ | 兵士だった男が、大事な人(エルオーネ)を助けるために、魔女(アデル)と戦う。 |
だが、決定的に違う点がある。
スコール | 世界の安全よりもリノアを優先して、魔女記念館に突撃した。 |
ラグナ | 魔女を倒したあとは、エルオーネのことよりも大統領職を優先した。 |
この両者の違いは何に起因するものだろうか?
筆者は、
スコール | ガーデンという閉じた空間しか知らない未成年の学生。 |
ラグナ | 色々な経験を積んできた二十代後半のいい歳した男。 |
この差なのではないかと思う。
注目すべきは、スコールの決断とラグナの決断のどちらが良いとか、どちらが悪いとか、安易な順序付けを劇中でしていない点だろう。エルオーネもスコールも大統領を続けたラグナの姿勢を責めていないし、逆にスコールたちの無鉄砲さを咎める人間も劇中には登場しない。
世界と愛する人のどちらか片方を選べと言われたら、貴方はどちらを選ぶだろうか? |